皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。
この度のえにし(ご縁)に、心より感謝致します。

本日は予定しておりました、観音経偈文和訳を繰り下げて、南国鳥さんから戴いた質疑にお答えしましょう。早速まずは、コメントの一部をそのまま引用します。


悪友などの腐れ縁と違って、悪縁というものは、本人の好き嫌いや相性とは全然別物で、悲劇的な結末を迎える場合もある。
この「心底、離れたくても離れられない」というのは、人間が見えない所で一体、何がどうなっている状態なのでしょうか?」


というのがご質問でしたね。
その前に、南国鳥さんは非常に珍しい方です。なぜなら、この手の質疑をされる方は、大抵がなぜかメッセージを送ってこられます。証拠に直近では、『入我我入』の反響が非常に多くメッセージが寄せられ、一人づつお返事も出来ないので、あのようなFAQ式の稿を書かせて戴いたワケでありますが。

別に南国鳥さんのようにコメントでもいいと思うんですがね。
どうせ皆さん、ハンドルネームなんだし。そしたら、高橋さんのような他の読者さんからも、貴重な助言なり思いなり訊けると思うんですが。まぁスレッドじゃないので読みづらいですし、ミクシーのようにバカバカとコメントが来るわけでもないですが。

しかし、なんで皆さんコッソリと、メッセージで送ってくるんでしょうか?
しかもこの私にですよ(笑。皆さん揃ってシャイなんでしょうか。Too shy shy〜by Kajagoogoo。古すぎ? あの人は今いずこ?(笑 シャイは内気、反対は勝気。いえ、だからって南国鳥さんがそうだと云ってるんじゃないですよ。始めシャイに見せといて、あとで豹変する人もおりますから。いえ、貴女のことじゃありません。貴方のことでもないですって(笑。

ってか、そもそも、このブログには、『常時、ご質問受け付けます。』とか、『お問合せはこちらへ。』など、どこにも書いてないんですが、なんで皆さん訊いて来られるのでしょうか。不思議なんですけど(笑。
前は書いてましたよ、プロフィールがあったころは、質問受付じゃないですけど。かけ出しでしたし(今もやけど)「イチャモンある方はこちらへ」みたいな(笑。あ、南国鳥さんは遠慮しないでいいんですよ!気にしないで下さいね。貴方はファミリーの一員ですから。 ファミリーってなに? だからそれは狐天狗さんに訊いて下さいってば。しつこい?(笑。


おふざけもここまでとして、まずはご依頼の『悪縁』とは、そもそも何なのか?
先に出来るだけちゃちゃっと、定義付けてしまいましょうかね。

デジタル大辞泉の解説によれば、『悪縁』とは、1 仏語。よくない縁。悪い結果をもたらす条件。2 好ましくない人間関係。また、関係を断とうとしても断つことのできない男女の縁など。腐れ縁。と、されています。gooの国語辞書でも似たような解説ですね。
ちなみに英語に訳すと、『悪縁』とは、『 evil fate [又は、destiny];』 つまり、『悪い運命』ですね。英語にはそもそも、『縁(えん)』がないですしね。敢えていうなら、人間関係ですから『relationship』≒人との結びつき。ですかね。
『縁(えん)』とは、良いご縁がありますように。とか、またご縁がありましたら。とか、日本語では良く使われますね。今、気が付きましたが、このブログのタイトルも当初からずっと、神仏とのえにし(ご縁)でしたね。記事の冒頭にも毎回ゆっとるし(笑。


まぁとにかく、『悪縁』と称する問題の中には多少、親族なども含まれていますが、ほとんどが異性関係ですね。決め付けるわけではないですが。 さてと、前置きも長すぎですが(笑、 定義的には『悪縁』も『腐れ縁』の一つとして、捉えられているようですね。

ここで今一度、南国鳥さんのコメントを再確認しますと、
「心底、離れたくても離れられない」というのは、人間が見えない所で一体、何がどうなっている状態なのでしょうか?」

ということですが、まず、「何がどうなっているのか?」 とは、南国鳥さんの仰る『悪縁』の原因を探りたい⇒結果、それを応用し改善或いは払拭したい、悪縁そのものを断ち切りたい。ということでしょうか?

ネットで調べたり、縁きり寺など専門とする寺院を訪ねて訊いたり、方法は幾らでもありましょうが、行く行くこういった質疑が増えたら、リファレンスとしてまとめてお応えするのも考慮致しますが、とりあえず社寺仏閣に於いて、良いご縁に恵まれたい「良縁吉祥」。反対に嫌な(悪い?)縁を断ち切りたいと祈る、「悪縁消滅」とかよくがありますね。

芦屋の知己、テルさんの御膝元・兵庫県神戸市灘区にある、敏馬神社(みぬめじんじゃ)では、数ある祈願祝詞の中で、『悪縁解除』が最も多いそうです。
これは当該神社によれば、定かではないとしながらも江戸時代末期、社の周りに芝居小屋や遊郭などが賑わう繁華街だったころ、必然的に色恋話も多くなり、そこで『悪縁解除』を願う人々が多く参拝してきたのが、現在まで広く伝わり参拝祈願者が増えたと言われております。
ここでも色恋沙汰ですね。しかし、そもそも何で皆さん、そんなに沢山の方が断ち切りたい『悪縁』に悩んでいるのでしょうか。


さて今回、南国鳥さんの質疑の意図が、ただの興味半分ではなく、南国鳥さんご自身、或いは非常に近しい方が、『悪縁』に因って非常に困ってらっしゃる。と仮定してお答えしますと、・・・
話し逸れますが、今気が付いたんですけど、困ると因るって似てますね。『原因の因、即ち因果法則』の因、何々に『因って』の因。また、過去などに『囚われる』とも書きますね。これって大体、困る元になるってことなのでしょうか、ただ似ているだけ?。下手すりゃあそうなるよ。ってことでしょうかね?

戻します。南国鳥さんが、私ではなく他の仏教者或いは、どこかのご住職に伺って得られるような応答を期待されているとは、誠に勝手乍ら思っておりません。在り来たりに得られる答えなら、敢えて私のような者が話すまでもないでしょう。即ち、法蓮らしいお答えをさせて戴くのなら、このようになります。


結論から申し上げますと、私には何で断ち切りたい『悪縁』に悩まされているか自体が分かりません。南国鳥さんが興味半分で訊かれたのでなければ、身も蓋もなくて畏れ入りますが。

なぜなら、私はこの生まれてこのかた43年間。一度も断ち切りたい、『悪縁』など遭遇したことが御座居ません。
正確に云えば、断ち切れない縁、即ち人間関係などこの世に存在しません。例えば私の場合、ある岐路に立たされたとき、相手が取引先であれ、社員であれ、恋人であれ、どんなに尽くしてもらったとしても、ここまでが潮時だ。と、一旦判断すれば、一切躊躇せずズバっと、「縁を切る」。これが私の人生です。

もしかしたら、『悪縁』に縛られるって人は、ここがハンパなんじゃないんでしょうか。
だって良く分かりませんが、人と別れたい離れたいって、そんなに難しいですか? 手錠されてどつき回されて血だらけで軟禁されてるんでしょうか? この個人情報保護時代に、どんだけ追っかけてくるんですか? 昔の武富士や商工ファンドみたいな取り立て並みの勢いですか? 『縁』を容赦なくぶった切ってきた私は、それが原因だか何だか知りませんが、何度も南港に沈められそうになりましたけど、この通りピンピン生きてますよ。

男と女に限って云えば、付き合い上手は別れ上手でもありますよ。
スパンと別れて、いつでもまたメシが喰えるみたいな。ズルズルと行き過ぎるんじゃないでしょうか。もうちょっと・・もしかして・・でも・・アンッ。みたいな。
その変な中途半端な思いやりや情と勘違いした、結局自分を擁護したいが姿勢が、反って相手を大きく傷つけることになります。傷が深まれば深まるほど憎しみも増してゆき、心が完全に歪んでしまったら、もうその人の知る人ではなくなってしまいます。
昨今、ニュースで流れる殺人事件て、抗争が激減してるヤクザもんより、断然堅気の方が多いじゃないですか?。『悪縁』の終着駅でもありますね、怨恨殺人は。違ってたらすいません。本当に良く分かりません。なら応えるなってね(笑。

『悪縁』とは思ったことは一度もありませんが、『縁』をぶった切るごとに、ときに冷酷だとか、鬼だとかも云われもしましたが、何も常に無思慮に冷徹に、そういった決断を下してきたのではありません。確かに非情に徹しなければならない場面にも遭遇しますが、抱える責任が重くなるほど、大きな決断をわずかな時間で決裁する必要が増えてきます。

会社の利益や他社員への影響、将来のビジョンや展開、また事業だけでなく私生活においても、自分がその瞬間から未来において、最も大切にしたいものは何なのか? それを重要視してきました。
自分は多欲不足の欲張りな人間ですが、より大きなモノを得る為には、それに伴う犠牲、血を流すことを当然としてきました。奪う者は奪われる。人を泣かせば泣かされる。裏切れば裏切られる。欺けば欺かれる。これらも当たり前。すべて覚悟の上です。
ですから、涙を呑むことも、泥を噛むこともあります。決断がいつも正しいとも限りません。ただ、私は自分の人生に決して後悔はしません。それは誰にも強制されたわけではなく、自分自身が判断してきたからです。何があっても、自分のケツは自分で拭くということです。

私はお察しの通り、明け透けにモノを云うし、メチャクチャ極端な人間でもあります。とことん徹底してやるのか?全く一切やらないのか?、最善か最悪か、最高か最低か、善良か不良か、善用か悪用か、完全か無か、神・仏か悪魔かケダモノか、事業もそうでしたし、仏道もそうです。これからもずっと変わりませんでしょう。

先日、心は完全なる自由だと稿を書きました。心は誰にも拘束することは出来ないと。心は金でよろめく、買えるじゃないかと仰る方もいますが、実は買えません。惑わせることは出来ますが。金で動く人は社員でもそうですが、より大きな金に動きます。だから簡単に裏切ります。一時的に利用は出来ても、完全に拘束は出来ません。

そもそも、人と人との繋がり・ご縁とは、心から望んで大切に大切に供養して、積み重ねていく信頼です。云わば建設的で生産的なものです。建てることと壊すこと、生むことと滅すること、どちらが簡単か考えれば明白です。創造し生産し、それを更に必死で継続していくことは、どれほど困難なことか、皆さん本当は良く分かってらっしゃるのではないでしょうか。

ですから、断ち切れない縁などあり得ないのです。
繰り返しますが、縁とは人と人との繋がり。関係を断てない人間など存在しないのです。相手がお化けや幽霊、神仏なら敵わないので別ですが。繋がり自体は目に見えなくても、人ならハッキリ見えてます。
『悪縁』という名の、見えない幻惑に縛られないように、自分をしっかり見据えることではないでしょうか。こんなモン、祈願するもんじゃありません。私の私寺ならメニューに載せません。するなら良縁をなさった方がいいです。良いご縁がひとつふたつと繋がって、それを大切に供養して行けば、ビジネスでも恋愛でも信仰でも、何もかもが良い方向へと神仏が導いて下さります。

何よりも自分自身が、人様にとって良いご縁となれること。そう心から思える人が一人でも増えていったら、『悪縁消滅』なんて祈願、わざわざ必要ですか? このお導き。聖天さまの御利益の真骨頂は、まさに是に尽きます。 南国鳥さん、このぐらいで、どっか一行ぐらいは参考になりましたでしょうか。


さぁ、間もなく27時。
本日は午前3時8分が月の望、満月行の日です。
それでは皆さん、本日もご訪問誠に有難う御座いました。
またの【ご縁】を、心よりお待ち申し上げております。


感謝合掌
法蓮 百拝



〜編集後記〜
狐天狗さんへ:
五時起きですか! しかもご出勤前の勤行とはこちらの方こそ、頭が下がりますよ。だって私今、専業主夫ですから(笑。はっ・・いちおー坊主見習い兼ですが。 しかし、そんな慌ただしい朝のお時間に、いただいたコメントなんて有難すぎで勿体無いですよ。どうぞもっとご自分の時間にお使い下さい。

名作劇場のような、大の大人でも子供たちでも、見ていて本当に学ぶものが多くあるものが、また沢山作られて欲しいですね。そしてそれを是非、家族みんなで見て欲しいですね。今って、サザエさんとチビまる子ちゃんぐらいでしょ? どっちも集えなくはないけど、ためになるとまでは行かないですしね。またお便りお待ちしてますね。有難う御座いました。


【大聖歓喜天利生記】第四項のご紹介
高橋さんへ:
いつもご苦労さまです。貴方の思いにもひたすら平伏しております。
マジシャン高橋さんは、ご自身のブログの執筆もあり、また待乳山聖天への参拝も多々あり、マジックの練習もありと何かとお忙しいところ、また利生記を書いて下さいました。
しかも彼は、これを全て携帯で打ち込んでいるので全く恐れ入ります。私など携帯メールが嫌いなので、わざわざPCメールへ転送して返信することも多々ある横着者でありますのに。

今回の投稿概要は、除霊やそれらにまつわる霊事に対する、事前防御について語られています。彼の日常生活での体験談ですので、非常に具体的な事例となっており、きっと皆さまのお役に立てることも多々あろうかと存じます。
それでは皆さん、お時間の許す限りどうぞ【続き】へと、お立ち寄り下さいませ。

【大聖歓喜天利生記】平成高橋新篇
今年の節分は、待乳山聖天さまの節分会に初めて参加してきました。

聖天さまの豆まきでは『福は内』だけを唱和し、“鬼は外”は唱和しないのですよね。その理由は、待乳山の月刊誌【いちょう】のバックナンバーに、ご住職さまのお話として掲載されています。
抑、聖天さまのいらっしゃる、お山には鬼などの邪気は存在していないので『鬼は外』は不要であり、『福は内』だけで全く問題ないとのことです。なるほど…頷けます(^.^)b

ところで、世の中には様々な霊や念の存在が私達を取り巻いていることを皆様はご存じかと思いますし、体感されている御方も多いかと思います。
私も、今はだいぶ減りましたが以前まではかなり頻繁に“そういうモノ”が寄ってきて、難儀するだけでなく生活に支障をきたしていました。そういう時はいつも聖天さま・観音さまのご加護のお陰で大事に至らず、なんとか無事に過ごさせていただいております。

そこで今回は聖天さま・観音さまにお救いいただいた、日常生活の中での除霊や事前防御についてをテーマにした、私の体験をご紹介いたします。
なお私は専門家ではありませんので、強大な悪霊や怨念の退散についてはご紹介出来ませんし、また執筆にあたっては、著名な祈祷師や書籍などのお話を、私なりの解釈で表現させていただきます。何卒ご了承ください。

またご専門の御方や諸先輩の皆様には、私の理解力不足や誤認識についてご指摘いただけますと幸いに存じます。どうか最後までお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。


さて冒頭に書きましたように、聖天さまや観音さまにお詣りする時には、そういったモノは山門を入った時点で既に除去いただいているのですが、日常生活の中で雑踏やちょっと怪しい場所に行くと、忽ち憑かれてしまうことがよくあり、そういう時は後頭部辺りの寒気ですぐにわかります。

ほとんどは低級で小さな力の弱いモノだそうで、放っておいてもそのうちどこかへ離れて行ってしまうのですが、気付かずにいると後々が面倒です。
家や職場の中の空気がドンヨリして人との会話が噛み合わなかったり、急に具合が悪くなったり、場合によっては物事がうまく運べなかったりと、悪いことが積み重なっていき、やがては大きな事故に繋がっていきます。

こうした体験…と云いますか資質・霊感は代々受け継がれるものらしく、祖母、母、私そして次女と続いており、皆揃って神仏信仰者なんです。
さらに…私の連れ合いのヴァイオリニストもまた、聖天さま・観音さまに帰依を誓い、私同様に除霊も体感・体験できる女性なんです。
それでは以下に、彼女との決死の体験をご紹介してまいります。


◆それはまさについ先日の出来事でした。

私たちは、浅草寺へお詣りするために待ち合わせをしていたのですが、ふと気が付くとケータイに彼女からの留守電とメールが入っていました。
途中まで来て急に体調が悪くなったので、帰宅したいというのです。朝は元気だったのと、留守電の声の様子から私は直感し、気合いを入れて戻ってみると、やはり何かが憑いているようです。その証拠に、私にも後頭部から背中にかけて嫌な感触が襲ってきたのです。

私は早速、聖天さま・観音さまのお力をお借りして、除霊を始めました。
まず“そのモノ”を追い出すための窓を開けます。次に、お線香を焚いてから般若心経とご真言を読誦し、その後お線香を1本手に持ち、すべての部屋と彼女の周りを右回り回りながら、ご真言を唱え続けました。
そしてそのまま窓から追い出すようにしながらお線香を手向けると、さっきまで負荷のかかっていた私の身体が、“すっ”と楽になりました。すぐに窓を閉めてから、聖天さまと観音さまにお礼を申し上げて終了です。

彼女を見ると既に顔色もよくなり、その5分後には笑顔も出てきました。頑張って浅草寺に行けば、より良かったのではないかとも考えられますが、中々そうはいかないのがこの手の悪戯なのです。


◆また随分前には、心底恐ろしい目にあったことがあります。

その時は、彼女が講師を勤める教室からの帰り道のことでした。
彼女から『嫌なものに憑かれちゃったかも?』と連絡があったのですが、その後、彼女はみるみる心身が不調になり、さらには駅の階段では、大きな事故にも繋がるようなアクシデントに見舞われたと言います。
私はかなり強い負の念を持つ霊が憑いたと判断し、彼女には家に帰る前に解決させようと伝え、電話とメールで必死のサポートが始まりました。

私はまず、かつて偉大なる祈祷師から教わった除霊の呪文をメールで伝え、さらに呪文の増力化と、霊が反撃してきた時に守っていただくために、聖天さまと観音さまのご真言を合わせて力強く唱え続けること、そして自らもお数珠を持って身体をガードすることなどを伝えました。
彼女は機転をきかせて、お数珠だけでなくお守りも手に握り締めながら、必死に呪文とご真言を唱えて除霊を続けたそうです。

得体の知れない悪さをする霊との戦いです。
私も自宅の聖天さまと観音さまに、除霊とご加護をお願いしました。

暫らく経ってから、自宅の近くまで辿り着いた彼女に電話をしました。心身の不調は幾分治まったようでしたので、まだ除霊が済んでいない懸念がありましたが、夜間、外にいるのもモノ達の思うツボになり危険です。
彼女には気合いで道端に放り出すようにと伝え、帰宅してもらいました。帰宅後も、前述したような作法で除霊を続けます。

ようやく心身が清浄化されたようです。

今回ばかりは私も緊張しました。
実はその頃、彼女と私の周辺では身に覚えのない怨念が取り巻いており、その匂いを嗅ぎ取って便乗してくる悪霊がいても、不思議ではありません。でも、聖天さま・観音さまのご加護のお陰で大事故に遭わずに済みました。


こうした体験は、私自身にも山ほどあります。
ここでは諸般の事情からご紹介出来ませんが、とにかく神仏と守護霊さま以外が憑いてしまうと悪いことばかりが続きます!

そういう事象がある時には決まって自覚症状が出るので、対処が可能です。

・後頭部辺りに寒気を感じる。
・突然、頭に軽い飽和状態を感じる。
・日常生活ではあり得ない不安感に襲われる。

また自分以外の人が憑依された時も、わかるようになりました。

・目の光が鈍くなり、目が座ったようになっている。
・私のことを真っすぐに見ることができず、すぐに目をそらす。

等々です。

そういう時、私はすぐに聖天さま・観音さまのご真言を唱えると、
たいていの場合はみるみる自分の、その相手の除霊を叶えてくださいます。



さて、今書いている記事を掲載いただいている法蓮さんのブログは、
私たち信仰者以外の皆様も読まれていることと思いますので、ここで1つ
皆様の疑問にお答えしたいと思います。

『そんなに信仰しているにも関わらず、なぜ霊に取り憑かれるのか?』

はい、信仰していても取り憑かれる人は取り憑かれてしまいます。
全身全霊が常に神仏そのものという高次元の神官やご僧侶、信徒さんには、もはやそんなことはないのでしょうが、本人が気付くか否かは別にして、誰にもよくあることだと云われています。

むしろ信仰心があるが故に、取り憑かれる頻度が高いとも聞きました。それは、そのモノが何らかの救いを求めて、またメッセージを伝えたくて、理解してくれる・感じてくれる人間に取り憑くのだそうです。

私の知っている祈祷師や先生にも憑くそうです。
その先生は、そういうモノとは【イタチごっこ】だと仰っておられます。

随分と長い原稿になってしまいまして、誠に申し訳ありません。

最後に母の話で締めさせていただきます。
母は大変な信仰家ですが、日常的に憑依に苦しんでいました。
ところが一昨日ちょうどこの原稿のことを話す機会があり、その後の様子を尋ねたところ、『最近はめっきり来なくなった!』と喜んでいました。

それはよかったです。
でも私は、その言葉を当然のように受け入れました。

何故なら、我が家は聖天さま・観音さまがご加護くださっているからです。

どうも、長いばかりでとりとめのない話になってしまいました。
最後までお付き合いをいただきまして、誠に有難うございました。

感謝合掌 高橋司