皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。
この度のえにし(ご縁)に、心より感謝致します。


虚空蔵求聞持法百万遍修した夜、少し前に図書館で借りてあった、【母をたずねて三千里】のDVDを観ました。テレビ放映以来、超久しぶりです。再放送があったかどうか知りませんが、恐らく初回放送、つまり子供のとき以来に観たと思います。

しかし、なにゆえ今マルコ?
いえ、図書館でふと眼に止ったもので。特に借りる時は意味がなかったのですが・・・。
それがあんさん、おっとどっこい。
こうしてブログ書くまでに至るとは思いもしませんでしたわ。実は・・


1975年、世界名作劇場の第1作【 フランダースの犬 】に続く、第2作にあたる【 母をたずねて三千里 】は、翌年1976年1月から12月まで一年間放映され、全52話あります。アメリカドラマでいえば、シーズン2か3ぐらいありますね。長い話しです。

昔はそんな長く同じ物語を見続ける習慣があったんですね。
しかも大抵は家族みんなで。同じ時間を過ごしたということです。私と同年代の読者の皆さんも記憶に残っているんじゃないでしょうか、この母をたずねて三千里。特に始まりの唄が大好きでした。前回、ご紹介したアンデスの民族曲が好きなのも、ひょっとしたら子供の頃に聴いていた、このマルコの影響かも知れませんね。

機嫌良く久しぶりに、マルコの唄を歌いながら画面を見ていると、【場面設定・レイアウト:宮崎駿】と書いてありました。は? あの宮崎駿監督? トトロも、もののけ姫も、千と千尋も大好きな映画です。宮崎駿監督も下積み時代があったんですね。さらに翌年1月、第3作の【 あらいぐまラスカル 】が始まったころには、もう私も11歳。デートに喧嘩にと、既に毎日が忙しいので家に居ませんでしたが(笑。

Wikiによると、『南米へと向う船に乗船するまでの日常ドラマと、渡航したのちの股旅物にストーリーは大別されるが、終始主人公の行動を客観的に描写する姿勢が貫かれており、他に類を見ない記録映画風のアニメーションとなっている。』へぇ〜そうなんや。この歳になって改めて観ると、どんな感じを受けるのだろうか。

ストーリーは殆んど覚えていない。映画って見直して観ると、その度にその瞬間の感性や信じているもの、経験から気付かなかった何かが見えるものですよね。だから私は気に入ったら何度も繰り返し観ます。借りてきたDVDは、Vol.8の49話から52話、最終回までのものでした。ちょうど4話づつ入ってるんですね。1話が30分番組にCMが入って短いですしね。それでは、感動の最終回までダイジェストでお送りしましょう。


49話【かあさんが呼んでいる】
哀愁漂う大好きなマルコの始めの唄の如く、だだっ広い草原の中、周囲には何も見えやしない。山も谷もない、方角も掴めない。そんな途方もない道をマルコはたった一人歩く。(アメディオは居るけど、ありゃサルだし。)
歩き遍路の自分には遍路地図があった、迷ったらコンパスもあった。道行く人にも訪ねられた。マルコには一切、何もない。第一マルコはイタリア人。歩いてるのは、「アンデスに〜つ〜づく、この道を〜」だから、アルゼンチン。言語はカスティーリャ語(スペイン語)。なんで話せるのか? 冗談抜きにして、異国の地でこんな真似が自分に出来るのか?

ただひたすらマルコは歩く、ただ母に会いたいがためだけに。
既に、ここまで紆余曲折(うよきょくせつ)な旅を続けてきて、幼いマルコの身体は限界にまで来ているだろう。あんなちっこいんだから。赤ちゃんみたいな顔してるし。脚もズタズタになってるに違いない。
若い頃とはいえ、キックボクシングで鍛え、歩き遍路の前には二週間のトレーニングを積み、そして臨んだ四国一周。それでも一度だけ、とうとう歩けなくなった。脚全体に激痛が走り、鎮痛スプレーをふっても気合を入れても、何をしても暫らく動けなかった。

マルコの片方の靴先がバカっと割れてしまった。
破った布切れで縛るが、歩く度に緩んで外れてしまう。そのうち、石に蹴躓いて親指の爪を剥いでしまう。「いった!今の痛いでぇ〜」と、自分も口元を歪めて声を出す。マルコの表情も苦痛に歪む、赤ちゃん顔だし余計に超痛そうだ。
勿論、薬など持っていない、こんな草原近くに薬局も病院などあるわけもない。痛みを必死に堪えるマルコ。しかしやはりどうしても歩きづらい。今度はボロ靴を鞄にしまい、裸足になって傷に布を巻きつけ、それでも尚、歩き続けようとする。愛する母の元へ、ただ胸に飛び込みたいがために。目的は違えど、『必ず行くんだ!』という気持ちは歩き遍路も同じ。親指の爪が剥れ、裸足でなおも歩けるか?

びっこ引いてるから、また何度も蹴躓く。
その度に足に巻いた布に血が滲んでいく。二股の道に出くわす。選んだ道は突き当り、間違いだった。元の分岐点に戻って他方の道を行く。歩き遍路でよくあったことだ。これもかなり辛い。
しかもマルコは傷を負っている。冷えてきたと、アメディオと木の根元にもたれてパンをかじる。「パン買っておいて良かったね。何か食べないと凍えそうだ。」アメディオに千切ったパンをやりながら、そう話しかけるマルコ。

街のない道を歩く時はちゃんと食料も確保しておくんだ。
すごいなマルコ、計画性もある。ここまでの多くの経験がこの小さなマルコを成長させていったんだろう。そこへ今度は雪が散らついてくる。最悪の状況だ。時間はお昼頃のようだが、自分ならそこで考える。この負傷した足で、陽が沈むまでにどこまで歩けるのか? どこで宿をとるのか? 果たしてそこまで歩けるのか?

雪は益々降り出し始めた。
ただですら、ほとんど道に見えないような未整備の昔の道。そこへ雪がボンボン積もっていき、どこが道なのかもサッパリ分からなくなっていく。増してやマルコは片方、裸足で歩いている。痛みよりも凍傷になってしまう。冷たくねーんかよマルコ・・んなワケねーだろ!って怒鳴られそうだ。それでもマルコは突き進む。

しかし、とうとう力尽き果て、倒れてしまうマルコ。
アメディオの心配を他所に、眠ってはダメだと自分に言い聞かせつつも、グッタリ倒れこんでしまう。疲労も困憊しているはず。冷たい雪道の上に小さな身体が横たわる。このままでは絶対に死んでしまう。
夢の中でお母さんがマルコを呼ぶ。ふっくらしたイタリアの肝っ玉母さんって感じの人だ。あたり一面、美しい花畑の中で、「おいでおいでマルコ」と呼ぶ母の声に誘われて、マルコは必死に追いかけるが、お母さんはマルコを待たずして遠くへ離れて行ってしまう。

ここは別段、観ていて不安はなかった。
なぜならこれがもし、お母さんが既に亡くなっているならば危険だが、第一、マルコのお母さんなら亡くなっていたとしても、愛するマルコを黄泉の国には呼ばないはずだ。
このとき実は、お母さんは職場が転々としたため、ジェノバに居るはずのマルコたちと連絡が途絶えてしまったことに心痛し、疲労も重なって医者もさじを投げるほど重い病に伏せていた。

そんなことは露知らずマルコは再び立ち上がる。
「お母さんが呼んでくれたんだ。もうすぐそこに居るんだ。行くよアメディオ!」再びマルコの中でゴングが鳴り響く。ロッキーを彷彿させるシーンだ。10カウントを待たずしてマルコはもう一度、身体中の力を振り絞り奮い立つ。
それを観て鳥肌も立つ。明日のジョーも、頑張れ元気も、高嶺竜児もみんなビックリ。こんな小さな身体のアニメのマルコに、男の中の男を垣間見る。

また倒れ、また蹴躓き、それでもマルコは這って母の元へ進もうとする。
決して劇画タッチのアニメじゃないのに、リアルなぐらいに感じるマルコの引きずった身体のあとが、くっきりと積もり出した雪に痕跡を残す。もう観ていられないほど、しつこいぐらいこの回の話しは、この草原でのマルコの孤独な格闘に終始する。この回一話でマルコが進んだ距離は多分、500mぐらいかも知れない。それぐらい進まない。
そしてとうとう完全に力尽き、マルコは伏せてしまう。雪の舞う草原で万事休す。精魂尽き果てたマルコ。誰かが通りすがらないと、100%マルコの命はない。しかし、もう空は真っ暗になった。そんな寂しい場所を誰が通るのか・・・

自分の歩き遍路は、雨風ちゃんと凌げる遍路宿があった。野宿など出来るかと思っていた。それでもよく宿に文句を云ってブログに書いていた。まず破れることもない、しっかりした値の張るトレッキングシューズも履いていた。毎日欠かさず足のケアも出来た。そのための鎮痛スプレーも持っていた。風呂も毎日入れた。中年男より子供は臭くならないかも知れない、髭も生えない。だが、こんな真似が出来るのか? それでもオマエなら歩けるのか? そう、今の自分に問う。

完全に意識を失ったマルコ。
そこへ遠くから馬車の音が聞こえてくる。だがもう、マルコには聴こえない。元気なアメディオだけがそれに気付き、マルコを起こそうとする。画面はここで一旦、真っ暗になる。
通りがかった旅人に、間一髪救われるマルコ。足の膿もナイフを焼いて出してもらい、酒で消毒してもらう。麻酔なんてあるわけない、そのままグサッだ。痛くないわけない。薬まで常備していた旅人は、観音さまか、はたまた同行二人なるお大師さまか。

命の礼を告げたマルコ。
旅人は「大げさなことを云うな。旅は助け合いじゃねーか。」とサラリと言い放つ。現代を生きる私たちも皆、ある意味人生の旅人。様々な柵(しがらみ)に囚われつつも、それぞれが必死で生きていくしかない。でも、もっともっと助け合えるのではないか?。我が事で精一杯になってやしないか? 自分のキャパシティを、自分で縮めてはいないか?

50話【走れマルコ! 】
母の居る街まであと60キロと旅人に教わった。
歩き遍路なら丸二日かかる。無理して一日。だが旅人はマルコに諭す、「男なんだからな、最後まで頑張るんだ。但し、無理はすんなよ。」と。「はい。有難う御座いました。」と、とても礼儀正しく素直なマルコ。但し、この燃える魂と意志の強さはハンパではない。

ゴールの見えた感のマルコは再び歩き出す。
そしてこの道で合っているのかと、一人のお爺さんに道を訪ねる。耳の遠いお爺さん、何度も「はぁ?はぁ?」と聞き返す。急ぎ足のマルコは、そんな爺さんに困惑しながらも礼を言って別れる。次の街が見えたころ、このお爺さんの孫が馬車に載せて行ってやれと頼まれたと、マルコに声をかける。
(良かった。これでマルコの足の傷も癒える時間が稼げる。疲労も回復するだろう・・)観ていてホッと安堵した。歩き遍路で云う、車のお接待だ。自分も何度か救われた。どれだけ有難かったか知れない。

乗る前にマルコは「パンを買っていっていいですか?」と訊く。男は食い物はあると云う。(しっかりしてるなぁ〜マルコ。)と、終始マルコに感心し通しである。
永らく馬車に揺られる間、男と色んな話しをする中で、悪気はないのだが男が、母親に会えてもオマエの顔を覚えてねーんじゃないのか?などとマルコをからかう。

一瞬マルコの表情に寂しさが憂う。そんな筈はないと、母の手紙まで見せて反論する。幼心をこんなに傷つけられたのに、男の冗談だと分かると笑ってすますマルコ。
(なんて大人なヤツなんや。二年前までのワシやったら、絶対ぶん殴ってついでに馬車も食料もかっぱらとるで。)大の大人の男まで完全に感服させるマルコ。すごすぎ。

マルコは子供である。出遭う人間もほとんどが大人。
途方もなく果てしない旅の道中、何度も先のような危機に晒されながらも、その度に多くの心ある大人たちに助けられ、お接待され、時はこうして弄られ、からかわれしながらも、人々の愛と優しさによって深い感謝の気持ちを抱きつつ、マルコは加速度的に大人に近づいてゆく。いや我々、大の大人よりも人格を磨いてゆく。こんな話しだったのか・・、深すぎるぞ、母をたずねて三千里。スゴすぎるぞマルコ。

ついに母を知る者がいる、目的の町工場に到達する。
そこで初めて母の病気を知らされる。母に世話になったという夫婦が、「山を越えるから丸一日はかかる距離だ、明日の馬車で送るから今夜は泊まれ。」そう云われても、病と聞かされたマルコはジッとしていられるわけはない。
足も痛かろう、お腹も減っていよう、ゆっくり休みたかろう、馬車で楽に行きたかろう。それでもマルコは走り出す。「山の麓に川が見えたらそれを登れば・・」待っていろ、と云われた夫婦の助言を他所に、受付の爺さんに強引に道を聞き出してでもマルコはひたすら走る。

第一目標の川が見えた、ここからが登りだ。
(マルコ、時間は今何時だ?)(山の夜は早いぞ・・)心の中でただひたすら走るマルコを気遣う。大きな木々に覆われた山の中は日暮れが早い。夜明けも遅い。自分も朝早くはライトを点けた、夜遅くまで歩いた時もライトに頼れた。マルコにはそんなモンあるわけない。
真っ暗な山道を描いてか、マルコの白目だけが映し出される。どんなに心細いだろう。痛みは引いたのか? 空腹じゃないんか何か喰えよ。端を歩くな、また川へ転落してしまうぞ。(一回、水を飲みに行って滑った。)休み休み行け・・。
付加えておくが、工場を飛び出してからマルコはずっと走ってる。なんという気力体力そして精神力。ケガも忘れ疲労も忘れ、ただ母に抱き締められたい一心で。そう、あの一心です。もうマルコの旅に比べると、自分の歩き遍路など屁のツッパリにもならんがな。ひしひしとそう痛感した。

51話【とうとうかあさんに】
そして念願の母との再会。
すっかり衰弱しきった母に泣きじゃくるマルコ。呼んでも泣いても母はなかなか応えてくれない。何度も夢にまで見た、母の胸に飛び込めないマルコの心痛。
マルコの頭の中には有りがちな表現しか出来ないが、きっと走馬灯のようにここまでの長い長い道のりが浮かんでは消えしたろう。今度こそ会える、今度こそと何度も逢えると思って訪ね歩いた街々で空振りを食らわされた。こんなに、こんな思いでここまで逢いに来たんだよ!やっと会えたんだよ!と。

ようやく、マルコの声に病魔にうなされていた母が目覚め、やっと二人はベッド越しに抱き合う。母のくすんでいた顔色が、全身の細胞が蘇生していくかのように、みるみると蘇っていく。しかし、プロデューサー誰だっけ?も、随分と引っ張ってくれたな〜。マルコが部屋に入ってから、お母さんが眼を覚ますまで、15分ぐらいワンCMぐらいあったぞ。マルコと母は何度も何度も抱擁し合い大号泣する、堪えきれず自分も号泣する。映画で泣くのって何年振り?そもそも泣くのっていつ以来? もぉ〜引っ張りすぎマジで。

そこへ、この屋敷の旦那が医者を連れ戻る。
衰弱した身体では、医師は手術が出来ないとしていたが、手術以外に助かる道はない。ところが診察した医者が驚くほど、一瞬にして母の体力が持ち直していた。マルコに逢えたことで、母の命の炎が再び燃え出したのだ。手術を快諾する母、無事の成功を嘆願するマルコ。そしてここでマルコは、旦那や奥さん、医師たちの前でとんでもない宣言をする。

アルゼンチンに来てから、ずっと多くの人々に支えられて自分はここまで来れた。だからイタリアに戻って勉強して医者になって、そしたらアルゼンチンにきっと帰ってきて沢山の人々を救いたいと。

ちょっとぉ、聴きました今の?
全くなんてヤツだ。自分も歩き遍路を終えたとき、四国の方々に、遍路地図を作ってくれた方に、遍路道を支えて下さってる地元の有志ある方々に、礼を尽くしたいと誓った。
この群馬にもお世話になった。ここを離れる時が来たら、きっと何らかの形で群馬に恩返しを。と思っていたが、マルコの志はそれを遥かに超越している。こんな小さな身体、母の胸に飛び込みたい幼心の少年が、信に報い義を尽くしたいと誓う。大義に生きると。マルコもまた、男の中の男と呼ばずに何と呼ぶ。

52話【かあさんとジェノバへ 】最終回
母は順調に回復し、それを待ちながらマルコは屋敷で黙々と本当によく働く。レンガを積んだり、農場を手伝ったり、郵便物を届けたり。本当に素晴らしい子供。いや男である。
時折、仕事の合間に母と過ごせる時間はマルコにとって至福の時。このときばかりは可愛らしい、まだまだ未熟な子供の顔に戻る。待ちに待った夢にまで見てきた時間なのだ。もっと甘えればいい。そこに受け止めてくれる母がいるのだから。日溜りの中庭にいるのは、あの勇ましく強く、血反吐を吐いてでも立ち上がり続けた、猛きマルコではない。

やがて屋敷夫婦、医師の全面的な資金協力を得て、ジェノバで待つ家族の元へ予定よりも早く帰れることとなる。本来はイタリアからの便りで、父親から資金送付まで辛抱してくれと云われていた。母もすぐには働けない。しかし、マルコも母も働いてでも返そうとする手術費用を、医師はこう告げて受け取らなかった。
「自分が治したんじゃない、マルコが居なかったらここまで回復させられたかは分からない。」と。きっとこの心ある医師の言葉は、マルコの胸に刻み込まれ、さらに多くの人々を救うマルコの心の糧となるだろう。

アルゼンチンを出航するまでの道のりで、今まで出遭った人たちにも再度出遭い、別れを惜しみながらも再会を約束するマルコ。医者になってきっと戻ってくると。きっとまた会いに来ると。彼の決心は既に揺らぎないのだ。どんだけ男やねんマルコ。

様々な思いが駆け巡る、涙ぐむマルコ。
(もうマルコ、頼むわ〜これ以上泣かんといてくれやぁー)貰い泣きが止まなくなってきた。自分も四国を離れる朝焼けの道を歩きながら、涙が自然に溢れ出し延々止らなかった。心の旅をしたものだけ、人の温かさに触れたものだけに分かる、心の揺さぶり。溢れる感謝の気持ち。これは貰い泣きなのか? 思い出し泣きなのか? こんなに泣いたのはどれ位ぶりだろうか。この稿を書いている今でさえ、涙でデスクトップが滲む。


いやぁ〜マルコって本当に素晴らしいもんですね〜
感動しまくりでした。それでは今回は、大好きなマルコの唄でお別れしましょう。

終りの唄もいいですよね。4話見てるうちに暗記しました。嫁はんビビってます(爆。

それからは、料理しながらとか唄ってます(笑。当日寝るときは、エンドレスで途切れず頭の中で唄い続け、終いにゃ三時半に起きてしまいました(笑。

自分を今朝、起こした太陽が真上に来たら、今頃母さんも起こしてるはずだ。な〜んて。地球の丸さと、先日の世界一速い乗り物の話しじゃありませんが、離れてる実際の距離なんて関係ないんだと聴こえます。

宮崎駿が好きな方は、聴きながら唄いながら文字も良く観ておいて下さい。出てきますから。今日、ご案内するのは日本語Vr.ですが、Youtubeには、他にもスペイン語Vr.ドイツ語Vr.と色々ありましたよ。各国で放送されてたんですね。益々スゴイぞマルコ!

〜編集後記〜
ついたちに買ってお供えした、オリエンタルチェリーの花が咲きました。一発目。残り二発が愉しみです。ここのところ、雨模様で窓を閉め切ってたせいか、仏間に百合の香りが漂って最高です。


狐天狗さんへ:
朝早くからコメント有難う御座います。
早起きなんですね、狐天狗さんは。あの時間に既に閲覧してコメント戴いたんですから。それにも増して、知ってましたかぁ〜いやぁ〜嬉しい!私もあのシーン大好きですよ。

ウチの目の前50mのところに公園があって、午前中はいつも近所の爺さん婆さんたちが、カコーンとゲートボールやってます。もうお分かりですよね?このカコーンという音、お年寄りの声、たまに傍を歩くと思い出します。ホント、見知らぬ読者の方でもお友達になろうかと思うのに、貴方なら大歓迎もいいとこですよ。早く皆でオフ会やりましょうね!なんか、音羽さんは物凄ーーく忙しいらしんですが(笑。

テルさんへ:
永きに渡るご支援、ご教示に心より感謝しております。しかし、本当にテルさんは良く巡礼に行かれますね。ご連絡下さる度に、どこかへ巡礼されていて・・。絶対、私より沢山の寺院を訪ねられてますね。私も頑張ります。
貴方が私に、京都で仰って下さった言葉は、今でも心に印象強く残っております。いつまでもそれを大切にこれからも精進いたします。三日前の晩メシも忘れるヤツですが(笑 今は法蓮3分クッキングを書かせていただいてるおかげで覚えてますが。あ、思い出せますが(笑 
今後とも末永く宜しくお願い致します。15日かぁ〜行きたいなぁ〜。

マジシャン高橋さんへ:
意気込みを感じ取って頂き、有難う御座います。
「伴に走らさせてくださいっ!ε=┏( ・_・)┛」
なんて可愛い顔文字。こんなのあるんですね、知らなかった^^;。
なに水臭いこと云ってんですか。貴方とは伴侶なんですよ。
とっくに一緒に走ってるでしょ(笑。

音羽さんへ:
いつもマジ受けるコメント有難う御座います。
毎回愉しみにしてます。あ、ムリはしないで。
法蓮3分クッキングは、貴女のためにネタ切れまで頑張ります。
あ、だからってムリに見に来なくてもいいんですよ。(笑
オフ会は残念ですが(爆、またのお越しをお待ちしております。


皆さん、いつもいつも本当に有難う御座います。
皆さんのおかげで法蓮は今日も書かせて戴いております。
皆さんのおかげで今生きております。明日も多分、生きておりましょう。
今回もご訪問、誠に有難う御座いました。


お次は、トゥルットゥトゥトゥン のコーナーです。

【法蓮3分クッキング】

5日の晩メシはコレじゃ! じゃじゃーーん!最高傑作!
【餃子の王将法蓮・日韓中友好合作激旨激辛麻婆茄子豆腐】
長すぎやタイトル(笑。中国語に見えるほど長いタイトルには、後述しまっけど、ちゃ〜んとワケがおますねん。レシピ見てもろたら分かりま。ま、読んだって下さい。

ご存知、『クックドゥー:CookDo』。
昨今、ってか多分、二番目の嫁はんときからあったような気がするから、もう発売されて二十年以上なるんかのぉ〜と思いきや、既に三十年も売られてるロングセラー商品。

しかーし!そんなモンつこうたら、法蓮3分クッキングの名が廃るわい。
確かに昔から味はいい。それに例えば、今回の麻婆系に使われるような肉味噌などは、フツーどこの家のキッチンにも常備されていない。なので、手軽に本格的な味を。というのは頷ける。
但し、他の調理料を揃えることに比べると、圧倒的にコストが嵩む。調味料を揃えるほど滅多に料理しないとか、一人住まいなら分かるが、法蓮3分クッキングで紹介するのだから、超カンタンに決まってる。これを機会に覚えちゃませう。マジで旨いから。これも秘密荘厳芯レベルに認定。


麻婆料理は日本において、大体3パターンある。日本流、広東流、四川流だ。私は四川料理が大好き。横浜中華街・景徳鎮の人気NO.1メニュー、四川麻婆豆腐は、究極に辛い。けど旨い。花椒(ホアジャオ)=中国山椒が、確かあったはずだと探したがなかった。あっても別宅から持ち帰ったから二年以上古い。捨てたかも知れん。まぁええわ、ならば。と、今回の日韓中合作へと至るのである。

その前に、辛いのが好きな人でも、四川独特の味を醸し出す、花椒(ホアジャオ)を知らない方は、せっかく教えた景徳鎮へ行って食ってみても、「ん?ナンじゃコレ?」と思うかも知れない。辛いのは辛いが、花椒の辛さは舌がビリビリ痺れる感じ。フツーの中華屋などで食う麻婆とは根本的に違う。色も真っ黒。

揚げ物につけて食えば旨い、煎り塩と混ぜた花椒塩(ホアジャオエン)ってのもある。山椒(さんしょう)の一種だが、日本のものとは同属別種。山椒といえば、大体イメージ湧くだろうか。日本料理の吸い口として、あるいは佃煮にも用いる花山椒とも別物。日本のはあくまで山椒(さんしょう)。どーでもいいが、(さんしょ)でしか変換されんのはナンでやねん?

なんにせよ、どこの国の料理でも本格的すぎると、違和感を感じることも多い。いかに普段喰ってる物が、ジャパニーズナイズされてるか分かる。ま、日本のうな丼も韓国行けば真っ赤だし、寿司もカリフォルニア行けばとんでもないモン出てくるし、どっちもどっち。その国の人の口に合えばいい。郷に入れば郷に従えか。


参考に)四川唐辛子は辛くない。韓国も然り。
辛いのが好きな人が好むのが七味より一味。つまりわざわざ他国の辛くないのを買う必要なし。SBでも充分。九州の一味が最高に辛くて旨い。私でも少しでいいから、ある意味お得な一味。タバスコも私はハバネロしか使わない。イタ飯屋にはマイタバスコを持参する。フツーのはドボドボかけると酸味が増してしまうが、ハバネロなら少しでも辛い。
九州の一味唐辛子には、四川人も韓国人もビックリしてひっくり返る。カレーも日本の方が辛いよね、インド人もビックリってあれ本当。)、さらに醤油、砂糖、味の素、黒胡椒、これらを混ぜておく。醤油と酒は1:1、それ以外は好みでテキトーに。ティースプーン一杯程度かな。まぁ花椒と豆豉まではなくてもいいけど、それ以外の調理料ぐらいは揃えておくと、クックドゥに頼らなくても、ほぼ日韓中どんな料理も出来る。


さぁ能書きはお終い。行くよー。
まず、準備が肝心。タバコ吸いながら、ワイン呑みながら、歌唄いながらでもいいから、フンフンフンと用意する。

『スタンバイ:1』
豆腐一丁300gを、水平に切れ目を入れ、あとは上から垂直にド真ん中、さらに左右を三等分、さらに縦長に真ん中。これで24等分。偶数に均等切りしたければ、まずド真ん中を攻めるべし。これを丼に入れ浸かる程度の水、塩テキトーを振り、自動で止るまでチン。⇒A

『スタンバイ:2』
合わせ調味料を作る。味噌汁とかのお椀が便利。プラスチックならぶん投げても平気。そこへ、中国代表・豆豉(とうち←なくても平気)、甜麺醤(てんめんじゃん)、紹興酒、。 韓国代表・コチュジャン、ヤンニンジャン。 日本代表・一味。プラス、ニンニクみじん切り。これらを混ぜておく。⇒B

『スタンバイ:3』
茄子を切ってザッと洗って水気を残したまま、丼に入れてラップしてチン。油通しは面倒、これで炒めるのが瞬速で済む。ほとんどの中華料理の炒め物は油通しといって、素揚げしてある程度火を通している。
どんな風に切るかって?クックドゥとかのパッケージ見て。あんな風に切るの。ふーん。自分で分かれよ!そのくらい!もっと頭使った方がいいよ(笑。アインシュタインですら数十%しか脳を使ってないって、あれは俗説。ホントはみんなちゃんと使えてるのよ、使い惜しみしてるだけ。勿体無いでしょ?脳みそは何よりも勝る便利なモノなんだから。

ニンニクの芽若しくは、今回のネギも小口切りにしておく。ネギは青い部分は中華料理の香り出し用、白い部分は薬味・材料に使うのが法蓮流。このネギ油のひと手間が違いの分かる男の元(笑。ネギと茄子で⇒C
買ってきたらすぐ二つにぶった切る。野菜室にも収納しやすい。因みにキャベツは水平に切るのが法蓮流。上部の柔らかい部分をコールスローに、芯に近いのを炒め物に使う。芯の方も先日のようにスープにすれば、柔らかく食べられる。

『スタンバイ:4』
鶏がら粉末、裏ぶた山盛り一杯に、1カップ(200CC≒フツーのコップ七分目)のお湯を入れておく。⇒D
あとは他の調理料類も並べて用意。片栗粉、ラー油、豆板醤、胡麻油。


『法蓮麻婆の作り方』たったの3工程!!
1、火ぃ全開。広東鍋に多めの胡麻油、好みで鷹の爪(さらに行くか?)と、ネギを炒めて香りを油に移す。青い部分は薬味にすると苦いが香りはいい。3〜4本放り込む。

2、ネギと焦げた鷹の爪は捨てる。合びきミンチ(豚ミンチのが高いよ。)を入れ、バラけてくるまで炒める。次にABCを入れ混ざったら、Dを入れて少々中火で煮込む。この間にBの入っていた茶碗に片栗粉と水を入れる。まだ溶かなくていいよ、固まるからどうせ。

3、味が廻ったら、鍋淵から胡麻油、ラー油を回しかける。最後に片栗粉を溶いて入れて五秒鍋振って終り。あれば仕上げに花椒をかける。激ウマ麻婆の出来上がり〜〜。


6日の晩メシ、【和風焼きうどん】。
これは笑うぐらい超カンタンで美味いよ。例の豚ばら2つ(100g)を三等分に切る。ネギも好きなように切って。さつま揚げ、かまぼこ、油揚げなど、冷蔵庫で賞味期限が過ぎてんの見つけて何でも入れる。練り物は許容短いからね。炒めりゃ平気。

ただ、これを平然と女にされると「ナメとんのか?」って頭に来るけど(笑。コーヒーカップも本当は、一週間ぐらい洗わなくても平気。でも女が洗ったあとに底に色が着いてるとムカツク。賞味期限も前はそう。殺す気か!オマエとは身体の作りが違うんじゃい!とかってね。大げさな。
気を配らない=愛が足りない=ムカツク。自分の愛だってもっと足りないクセにね。こんなのも『囚われ』の一種、近頃はだいぶ平気になってきた。好きでないことに変わりはないけど。気にはならなくなった。

ケツの穴の小さなことにこだわってましたね。
男はこう、女はこうって・・ずっと子供のころからの性根でしたから。今でも男はこうあるべきってのは抜けませんが。それだけは自分が自分であり続けるためにも必要不可欠だと思うので今は。
こうして感情的な口論を繰り返し、下らない非生産的な非建設的な、お金すら産みださない人生の貴重な時間を無駄にして心を砕き、思いやりが薄れていき愛していたのかも思い出せずに、やがては愛そのものをも見失っていくのですね。皆さんは真似しないで下さいね。


はい、シングルアゲインはもうお終い!
この料理のコツはただひとつ。うどんの処理。
生うどんは超ひっつく。先にざるに出して軽く水で洗い、油を回しかけ丼に入れてラップしてチン。これで引っ付かない。讃岐の冷凍うどんは美味いよね。あれは温かいうどんにはいい。炒め物にはひと玉、18円のうどんで充分ですよん。

鍋に肉から材料を炒め、うどんを入れたら中火、出し醤油(なければ、麺つゆ、それもないなら醤油+ほんだし)、塩コショウ。かつおぶしや刻み海苔かけると更に美味。紅しょうがも添えると美味いね。
今回は和風にしたけど、オイスターソースと胡麻油、味玉(ウエイユー)で味付けしたら、中華風。これも美味い!

メタボ親父と喰い盛りの息子、二人前でうどん五玉。
え?食いすぎ?いやいや、それでも一人前45円よ。関係あれへん?(笑 これにまだ昨日の残りの麻婆丼と、一昨日のキャベツで作った、シャウエッセンスープもあるのですよん。

大体、昨日ね。息子から5時ごろメールがあって、「野郎っ喰わんなら早ぅメールしろっちゅうてんのに!」と、半ば発狂しかけでメールを見ると、「メシ喰うけど遅くなる。」と云うので、「温めて喰うなら作っとくぞ。」と返したら、「うん。」なんて、ニコニコ顔で返すから、そーゆーんじゃと、腕をふるって作った。

一人で作って喰うの面倒なのに。
しかし息子は起きてる間には帰ってこず。家内曰く、「給料日だもん、どっか行ってるよ〜」・・・ケッ。まさか欺きやがったか?でも前に遅く帰っても喰ったことあるしな・・と、また丁寧にラップして置いといてやったのに、朝起きると彼女の靴があって、二階へ上がると喰ってやがらん。今さら笑顔メールに謀られたと気付いてももう遅い。

今日のブランチは神仏ごとで作ってやるのがおして、家内が自分でパン焼いて食ったので、自分は昼抜き。一人だとやっぱ面倒。延々と説明したが、てなワケで麻婆を二人で分けてまた丼にし、焼きうどんと喰ったのでした。チャンチャン。


広東鍋は便利。揚げる、茹でる、焼く、炒める何でも来い。コイツは愛用の広東鍋。鉄鍋だから洗剤で洗ったらダメ。使い終わったら、揚げ物用の油をたっぷり入れて加熱(焼き入れ)する。こうしておけばテフロンと違い、いつまでも使える。
丼モノの紹介が続くが、丼のときはご飯は普段より固めに炊くこと。カレー然りでしょ。吉野家もメシの焚き方、種別にこだわっている。ご飯がべしゃべしゃだと美味くない。固めに焚いて、ふわっとよそうと、隙間にタレが沁みこんで美味い。

法蓮餃子で、忘れていたことがあったので追記しておいた。
ご興味ある方はどうぞ観てやっておくんなまし。

ではでは、ホントにさようなら。