皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。
この度のえにし(ご縁)に、心より感謝致します。


すいません!夕方にアップ間に合いませんでした!ごめんなさい。
ん? 夕方『以降』って書いたから、イイんか?
いやアカン! 約束は約束や。
言い訳するな! 逃げるな! 誤魔化すな! 正当化すんな!

すいません。ぜんぶ独り言です。無視して下さい。近頃、神仏やご先祖様とは良く話しますが、生きた人間と会話してないので独り言が非常に増えました。ヤベーかも最近(笑。


【ご挨拶】
冠省。希有なるえにしで結ばれし読者の皆さまへ。
既に速報にてご報告致しましたように、おかげさまで無事、虚空蔵求聞持法百万遍を満行致しました。早々と祝福のマッハコメントを下さった、マジシャン高橋さん、音羽さん。有難う御座います。普段の何倍も何十倍もとても嬉しかったです。そして皆々さまのご加護、ご庇護に深く感謝の気持ちでいっぱいです。

前回までで399回の連載をもちまして、第一章を締めくくりさせていただき、本日より新たな気持ちで第二章、【毘那夜迦-Vinayaka・遍路と巡礼 心を洗う神仏とえにしの旅】シーズン2として、今まで以上に皆々様のお役に立てるよう、日々チャプターを更新していきたい所存であります。

私ごときまだまだ、ゲゲゲの下僧であり、日々是修行を重ねるばかりで御座居ます。
一見信仰に何ら無関係な下らない記事も多々御座いましょう。しかし、道端の水溜りの如く浅き智慧ではありますが、私がこの稿にぶつけるその思いに、言行不一致は毛頭御座居ません。自らを欺くは神仏に対する最たる罪で御座居ます。

それら一語一句、いえ例え千語に一悟、或いは壱万行に一行からでも、皆々さまの望まれる幸福な人生に、一石を投じられれば真に恭悦至極に存じます。
今後とも未来永劫変わらぬご愛顧、ご教示賜れますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。


不一  法蓮合掌


【なぜに、一時満行?】
ホンマに百万遍やったと云えるんかい?
そう思われる方もいらっしゃるでしょう。仰せの通り、我が胸に手を当てずとも、私の虚空蔵求聞持法は、本来の虚空蔵求聞持法に非ず、本当はまだ百万遍に達していないのであります。それはご存知のように数を読むのに、ダイソーのカウンターくんを使ってきたので、数珠を爪繰っての本来修するべき虚空蔵求聞持法には、数が届かないのであります。

私の虚空蔵求聞持法は、いつでもどこでもをモットーに、山篭りせず期間を特に定めず、ただ実生活の中でひたすらやり続けてきた、云わば在家の修法です。後述致しますが、いつも数珠を持ち歩くわけに行かない普通の生活の中でも、何とか数をこなすべく原則的には、どんな場所でも何をしている時でも、真言を唱えて積み重ねて参りました。そのために、数珠ですと最低一巡しなければ、つまり100以下の中途半端な数では止められないので、カウンターを使用してきたのであります。

周知のように三重院での修行中や、徹マン(徹夜でマントラ行)などを修するときは、目標数までこなすことが出来ますので数珠を使用してきました。しかしそうして数えた真言は恐らく、百万遍の中で極僅かに過ぎないでありましょう。いっても多分、十万遍はないと思います。従って残りの9割以上はカウンターで数えた為、数珠で修する場合の実際の数、即ち百八万遍に届かないのであります。

私が日々勤行で聖天さまのご真言など、数珠で数えると珠を全て数えるので一巡しますと、両親珠・弟子珠合わせて114遍になると、以前の稿に書きました。そこまで敢えてする必要もないかと思いますが、この虚空蔵求聞持法に関しては、あと八万遍。どうしてもそれをやり終えなければならない思いに駆られ、これに明日より再度挑戦することを、この稿にて皆々さまに公言します。これが本稿タイトルの、【一時満行】なる意味です。


【一時満行に至り思うこと】
実はあと八万遍、これを修することについて、満行する前からそう決めておりました。多分、九十五万遍を越えたあたりからだったでしょうか。ハッキリ覚えてはおりませんが。

それでも今回、一応は目安にしていた百万遍を越えたことで、また自分の中で何かが変わったように思えました。今朝の勤行時では早速、前稿でお話しした例の世界一速い乗り物にまたがり、颯爽と高野山へ奥之院へ、遍照金剛空海阿闍梨の元へと飛んでいき、御影堂の前にてご報告と感謝の意を表して参りました。

そしていつものように、「再び我を高野山(たかののやま)へお導き下さい。」と。 「願わくば、千二百年ものいにしえの時を越え脈々と受継がれし、貴方様の開かれし真言密教の境地へとお導き下さい。そしてどうか、貴方様から真言密教の系譜を伝法灌頂を、世賢さん共々我にお授け下さいませ。」と。仏間の大師像も、ハッキリとお顔が明るく見えたような気が致しました。


何がどう変わったのか、まだ具体的にこうだあうだと明確には分かりません。ただ、聖天さまの御前に向き合ったときも、心なしか普段より晴れ晴れしく、また堂々として手前味噌ですが、幾らか誇らし気に笑みを湛えていたようにも感じました。
この感覚は、歩き遍路を終えたときと非常に酷似してろうように思います。先ほど、明日からあと八万遍と申しましたが、今日はそんなこんなで、虚空蔵求聞持法はお休みです。こんなメリハリもタマにはよかでしょう。観音経写経はどうしようかな、別件だし・・・。

まぁ兎に角、そんなこんなでここを一つのケジメとし、気持ちも新たに第二章というこに相成ったわけで御座居ます。私は人と話す時も、こうしてモノを書く時も、どうしてもどっかしっかについ、お笑いを入れてしまう習慣があって、アホみたいですが書きながら自分でニヤニヤと、読んでる方が噴出してくれないかな〜とか、これおもしれーんだけど、など常々考えてしまうのです。

いや考えるというよりむしろ、自然反射的にやってしまい自分では止めようがありません。なので、最終回に驚かせてしまった高橋さん、狐天狗さん、ごめんなさい。あれもちょっと、突発的に書いてしまったギャグのつもりもあったんですが。でもいつか本当にそのときが来たら、貴方がたには真っ先にでもメールしますって。なんせファミリーなんですから。
ファミリーって? 狐天狗さんに訊いて下さい。オールバックはしなくていいですよ(笑。水臭いことは一切なしです。どうかせいぜい、哀しき大阪人のサガ、悲しき口笛とでも思し召し下さいませ。

是非、また美味い酒を酌み交わしましょうね。
そうそう、この数時間、最後の追い込みでほとんど寝ていません。毎朝、聖天さまに捧げているマッコルリが、画像の通りに溢れんばかりにコップいっぱいに溜まっても、お下がりを呑むことが出来ず、達成時に嬉しくてお下がりを頂きながら、皆さんへの第一報を書きました。

呑むと眠くなりますよね。そうでなくても、もうろうとしてるのです。口では唱え続けているのがハッキリ意識としてあるのに、指が全く動きません。真言はドンドン進みますが、何十回、下手すれば百回行ったんじゃないと思うほど、手が動かないのです。そこに自分が居るのかすら分からなくなります。どこ行ってんでしょうか。

しかしアレですね、あんだけ散々飲み歩いていたのに、酒が随分弱くなりました。
歳のせい?一気飲みのせい?ただの気のせい?。


【虚空蔵求聞持法データ】
前回九十万遍から・・延べ57日間(約1754遍/日)
初日(7年7月23日)から・・延べ682日間(約1466遍/日)

前回九十万遍の稿にて公約した通り、一日平均値は前回、前々回の八十万遍達成時の862遍/日は勿論、初日からの平均をも上回せることが出来た。

それにしても682日間とは長すぎるで。のんびりし過ぎやっちゅうねん。普段、メチャクソ気ぃ短いクセに、こーゆーことはどんだけ呑気にやらかしとんねん。なんとか二年を待たずして出来たもんの・・・
おっと、あと八万遍やらんとアカンのだった。本年7月23日まであと、48日間。一日1666遍以上のペースで追わねば間に合わんではないか。呑気に今日はお休み、「そんなメリハリもよかこと」だの云ってる場合か?そんなんでヤマトは地球を救えるのか?(笑。

されど682日間。
よく諦めずに続けてきたと、自分を褒めてやりたいです。私は早くから自立し親と離れたせいもあり、本当の意味での人生の師、助言者たるメンターを持たずに生きてきました。わざとじゃなく、巡り逢えなかったのです。松下幸之助なども勝手にメンターの一人です。そうやって勝手に師を仰いで来たせいかも知れませんが、いつも自分で自分をシゴキ倒し(Mじゃありませんが。)、その分何か達成出来た暁には、自分で褒めることをよくしてきました。

やると決めたら諦めない。へこたれない。挫けない。殺されてもやり通す。 あそうそう、この画像『男たるもの』は、かつてビジネスに没頭していたころ、各店舗などに掲出していたもので、最後のオフィスから持ち帰ったものです。久しぶりに見ると随分色褪せておりますが、思えば仏教の「ぶ」の字も知らない頃から、「色即是空、諸行無常、盛者必衰」などと、こんな仏教用語を取り入れていたのに驚きました。ちゃんと意味分かって使ってたんでしょうかね(笑。

私にとっての虚空蔵求聞持法百万遍は、こんにちまで費やした遠い遠い道のりでした。しかし、四国歩き遍路もそうであったように、ハイキングすらしない、インドアナイトライフ派の私が、あの途方もなく思えた四国全土一周も、ただただ歩き続けたことによって満行しました。歩みさえすれば必ずゴールに辿り着くのです。

ほら、イチローも云ってるでしょ。「確かな一歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない」と。私はあまりTVを観ませんが、ブログを書いているときなど、目の前で家内が容赦なく観ているTVのCMが聴こえてきます。それだけでも、こんな素晴らしい名言が手に入るのです。なにも偉人の書いた古書だけでなく、映画然り、何気ない会話然り。それらを己の人生の肥やしとするのか否かは、貴方次第で御座居ます。このブログもそんなダイヤの原石、即ち金剛の一欠けらでありたいと願います。


【カウンター虚空蔵求聞持法のメリット】
書き足してるとバンバン長くなります。いつもことなのでご容赦下さい。
前述しましたように、数珠を使わないことのメリットも沢山御座居ます。兎に角どこでも出来る、どこで止めても数が分かる(但し、紛失しなければ。私のカウンターはかれこれ五代目ぐらいだと・・)。具体的には今まで述べたこともありますが、初めてご訪問下さった方の為にパパパーっと羅列します。

『いつでもどこでも』がモットーです。外へ出る時は必ずカウンターくんを持ち歩きます。車の運転中、地下鉄など乗車中、駅までの徒歩、スーパーへの徒歩、(あー歩き遍路でやっとけば良かった。終盤まで余裕なかったし。)スーパーの中で売場移動中、レジ待ち中、銀行や医者で順番待ち中、(←以前は、しょうちゅう発狂寸前でしたが、全く待つのが苦にならなくなりました。)、駐車場順番待ち中、などです。

これはある意味、自分にとって大きなメリットであり、変化でありました。
例えば、私は元々人に待たされるのが大嫌い。自分の時間を阻害されるのも忌み嫌ってました。しかし、それまでイラチ全開で待ったいたような時間を、全てこの【虚空蔵求聞持法】に使えるのです。
ウチには今、車が一台しかありません。これは免許所持者に一台が当たり前の群馬ではありえない事です。アパート経営も、二台確保しないと入居者は見込めませんし、群馬に来た頃のカルチャーショックの一つでしたが、居酒屋に駐車場は常識。コンビニも駐車場のキャパが日販に比例することから300坪が常識です。
ですから、家内の買い物や諸用に付き合っても、例え何時間待たされても、ダルいのはダルいですが、その分、虚空蔵求聞持法が進めば良しとも思えるのです。

公園や寺院の境内などに坐してやったりもしました。あと、パソコン起動待ち。これ以外とイケます。システムアイドルが落ち着くまで結構ありますし、タブブラウザを使ってますが、それが起動してスタートアップに設定している6サイトが、全部表示されるまで大体、300遍イケます。近所のコンビニ往復でも大体300遍。ってことは、PC起動してからコンビニ往復出来る。こんな時間の定規にも使えます。さらに拡大利用価値あり。あと、FAXの送受信中とかね。


但し、『いつでも』とはいえ、貴方がもし実生活で虚空蔵求聞持法をおやりになるのなら、不浄な場所や不浄な行為(仏教的に)の最中は、やはり避けた方が賢明でしょう。例えば、(幾ら私でも流石に・・)ウンコしてる時とかトイレの中、もう随分してませんがエッチの最中とか、ナニしてもらってる時とか、(←以前は、タバコ吸いながら、バーボン呑みながらとかフツーでしたが(笑)、

あ・入浴中はいいですよ。清浄化する場所ですから。真言がエコー気味に響いて気持ちよくなります。但し、カウンターを濡らすと壊れます。風呂で飲むのもタバコ吸うのも好きでした。今やりませんけど。
他には、テレビ見ながらとかは止しましょうか。まぁ車の運転中も視界を広げて情報を得てますから、理屈ではどうかと思いますが、テレビは娯楽ですしね。遊びながらってのはちょっと。音楽も聴かない方がいいですね。無論、飲酒喫煙もダメでしょう。また浮かんだら追記します。


【死ぬ気でやるということ】
よく、死ぬ気でやるって云いますよね。死んでも何々してやるんだ!って。あれって、死んでもあの世でやり続けるってことじゃないと思うのです。

例えば、虚空蔵求聞持法。やると決めたら、死んでもやる。この場合、物騒になったとはいえ、まだまだ日本は治安いい方ですが、突然強盗やなんかにカチ込みされて撃たれたとします。或いは、心臓発作で突如倒れたりして死に至ったとします。新妻腹上死はもうナシです(笑。

そんな在り得ないかも知れない、万一の何かが起きても、殺されたって何したって、そのときにその瞬間にやっていること、やり続けていること、己の信条とし続けていること、今際の際(いまわのきわ)に至るまで思い続けること。これが、【死んでもやる。】【死ぬ気でやる。】と、いうことだと思うのあります。

ベッドの上で女と戯れているときじゃなく、高級車にふんずり返って乗っているときじゃなく。【死ぬ気でやる】のであれば、それが写経でも、読経でも、マントラ行でも何でも、何してるときも同じです。或いは今までの私で云うビジネスに関してなら、定めたビジョン復は志した目標に、毅然とした態度で臨み、果敢に勇気を以って自分と向き合い、或いは敢然と立ち向かう。
信長然り、例え志半ばで朽ち果てようとも駆け続ける、どんな運命に晒されようとも。それが死んでもやるということ。だから死んでもやれっ! はい、絶対やります。


まーまた、調子ん乗って恐れ多くも公言してしまいましたが
第二章のゴングは鳴りました。人生のリングからは誰も逃げられません。
そんなこんなで御座居ますので、今後とも皆々さまからの倍旧のご愛顧、より一層のご支援が賜りますよう、伏して心よりお願い申し上げます 。有難う御座いました。


感謝合掌
法蓮 百拝



〜編集後記〜

続きは、トゥルットゥトゥトゥンのコーナーです。
これは常連さんにしか分かりません(笑。
ノンパスワードですが、ご興味ある方のみ、クリックを。

【法蓮3分クッキング】
まずは、3日の晩メシ!
『餃子の王将法蓮・ポパイ定食』なにゆえ、餃子の王将か? 大阪に居る時、良く王将で食べたからです。ほうれん草と卵、豚バラを炒めた料理でウマいんです。
餃子の王将は、独特の幹部昇格システムを採用しており、店長になるとかなりの権限を与えられ、メニューも作れます。但し、フランチャイズもあるので全店に同じメニューがなく、グランドメニュー入りしなければ、他店で食えないものもあります。これもそう。

高崎や前橋にもここ数年、やたら餃子の王将が進出してきまくってますが、前橋で食えたので喜んでまた行ったら、オープン当初の期間限定でした。ムカツク! 上等じゃ!と、見よう見真似で作ります。
ただ、厨房に入ったわけじゃないので同じ味を再現できません。多分、醤油、酒、オイスター、ちょっと砂糖?、ウエイユー入っとるかな?・・あと分からん。みたいな。
近所の中華屋で、肉ニラ炒めというこれと似た味の美味いメニューがあります。そこんちは炒飯もウマいので、マジでバイトさせてもらおうかな。(笑

冷蔵庫を掃除した時に見つけた、古かろう冷凍のえびいかMIXをついでに放り込んだら、水分が出てヘニョヘニョになりました。横着したらあきませんね。料理は。ちゃんと解凍せんと。
炒めモンこそ手際です。しかしこの日、既に虚空蔵求聞持法の連日疲労からか、ややテンションオチ気味。いつもようにババっと作れず、えびいかといい、ほうれん草炒め過ぎといい、満足のいく出来栄えにはなりませんでした。料理が巧く行かないと、余計ムカツキます。食う気もなくなります。

息子に、「これウマくないのぅ〜」と云ったら、「ん? 俺は大丈夫。」と云います。そういえば・・、と思い、こないだの炒飯の話しを蒸し返して、「あの炒飯も不味かったろぉ? オマエはあんだけ山盛り食ってくれたけどよ。」と云ったら、「ん? 俺は大丈夫だけど。」とまた同じ答え。 ニコニコはしてんだけど、相変わらずリアクションは薄いヤツ(笑。

「そうか・・」と受け流しつつも、(はっ! もしかして、コイツのストライクゾーンはかなり広いんか?)とも思いました。
確かに好き嫌いの多いヤツですが、嫌いなものさえ避ければ、余程、口に合わないものは残しますが、美味い不味いとも云わない代わりに大抵のモノは食います。
それに決して横柄なヤツではないですが、追従を言ったり気を遣ったりするヤツでもありません。だから、本当に「大丈夫」だったんでしょう。料理嫌いの家内に子供のころから鍛えれてきたせいでしょうか(笑。

そもそも、究極の食わず嫌いで、初めて見た物は必ず匂いを嗅ぎますし、(オマエは犬か?)「美味いから食えよ」と云っても、ほとんど手を付けたがりません。話し逸れますが、女性って良く匂い嗅ぎたがりませんか?何でも。 あれって身を守る本能に頼ろうとするからでしょうか?音羽さん教えて下さい(笑。

私はあまり匂いを嗅ぎません。すれ違ったお乞食さんが臭いと、なぜかもう一度息を吸って確かめたくなりますが。あ、やっぱクセーしって。それのが変?(笑。つい、やっちゃわないですか? 実際クッセー!とでかい声出すほど、鼻を突くような臭い匂いなんですが、確かにコイツか?なんだったんだ今の匂いは?みたいな、再確認しようと。やっぱオカシイんですかね(笑。


次は本日、4日の晩メシ。『仏陀摩丼(ぶったまドン)』。
お釈迦様ごめんなさい。ただ、豚と卵を掛け合わせただけの丼のネーミングに使わせていただきました。それだけ有難く戴きます。

久々、娘が休みで帰ってきました。だから四人分。ただ今日のは手抜きです。なぜって?丼は洗い物も少なくて済むし、一気に作れますから。素晴らしい日本の料理ですね丼は。

高橋さんが、自分のは男料理だって謙遜されてましたが、私のこそ男料理ですって。粗暴でガサツです。今日は本当は息子と二人なら、豚ロースの黄金焼き(←昔、東海道新幹線に食堂車があって、その中で一番好きなメニューでした。洋食ですね。今度また披露します。)
それにしようかと思ってたのですが、娘と買い物に行くというので家内にロースと頼んだら、なぜか自分の得意な生姜焼き用の肩ロースの薄切りを買ってきました。久しぶりに料理すんのかの?とも思いましたが、トンカツ用と書かなかったせいですね。日本語は難しい。
でも後で話したら、「3〜4枚って書いてあったから・・」というので、そう添え書きしたのを思い出し、「薄切り肩ロースの3〜4枚入りなんかあるかい!」と云いました(笑。

ってなワケで、急遽何にしようと考えて、これになったのです。
1、肉の入ってるスーパーの皿に、そのまま醤油、みりん、白胡麻、千切った鷹の爪、砂糖、酒、味噌、ウエイユーを入れます。茶碗でも混ぜてから入れた方がいいですね。横着しました。鷹の爪を千切ったら手を洗いましょう。うっかり花粉症の眼をこすると、「ぬぁぁああああっ」と、絶叫しますよ(笑。

2、キャベツをザクザク切りにして、大き目の鍋で茹でます。コンソメ一個、塩コショウ、庭からローリエの葉を二枚。ローリエの木はドンドン馬鹿でかくなります。こないだ切りました。そんなことも一切しない男だったんですが。これも功徳?

3、キャベツの芯の太いところを食って、柔らかくなってたら、別の小さめの鍋にザルでこします。捨てると勿体無いですよ。いい味が出てますから。このままこれは明日のシャウエッセンスープに使います。こうしてキャベツを煮れば、ボリュームが減って生より沢山繊維質も摂れます。そのまま鰹節と卸した生姜かけて食っても美味。

4、さて肉を焼きませう。タレをよく浸けながら胡麻油で強火全開で焼いて行きます。焼き色が着いたら、丼に一旦どかしてドンドン次を焼きます。丼にどかせば洗い物は増えません。大体、肉とかのスーパーの皿も、料理の途中のトング置きとかに使います。ワークテーブルも汚れません。それでも私の料理は暴れるので散らかりますけどね。

5、最後の肉が焼けたらそこへ先の肉も戻し、タレをぶっかけて弱火にします。水分を飛ばしつつ肉を絡めていくと、いい照りが出てきます。美味そうですよー。甘辛味はご飯がよく進んでメタボに最適

6、丼に・・あ!目玉焼きを書くのを忘れてました。工程2番の次に焼いといて下さい。余談ですが、私は半熟嫌いです。食いづらいから。かといって、焦げも嫌です。sunny-sideupと頼むと大抵半熟でムカツキます。どなんしてフォークで食うんじゃ!みたいな。over-easyはもっと嫌いってか、目玉ではなく私には違う料理になりますし、over hardでも納得出来ません。以前はもっぱら、braise(焼いてから蒸す)でしたが、下手な店だと水気が残ったり、好きな胡麻油などでは香りも飛んでしまい使えません。

しかし、今の私は目玉焼きを極めました、超自信があります。これだけは秘密荘厳心の域に達しています。目玉焼きが上手くなっても人は救えませんが。
中火で焼いて、白身に火が通ったら弱火。ほんのり周囲がピンク色になれば火を止めほっときます。この余熱が半熟と完熟の際どい出来栄えになります。水も要りません。フタは要りますよ。


今日は昨日と打って変わって、気分良く料理出来ました。
酒解禁になったので、ホッピー呑みながら、パソコンで息子のゲーム音に負けぬよう、大好きな曲=EL SARIRI(アンデスの旅人)を聴きながら機嫌よく作りました。南米のノリと民族楽器が最高です。

そうすると上手に出来るモンですね。やっぱ料理は感情。じゃなくて愛情か(笑。


▲これ、とても素晴らしい曲ですよ。きっと好きになります。
安らぎと活力の両方を与えてくれる曲はそうはありません。
もっと上手い演奏者いるんですけどね。とりあえず真っ先にあったのですいません。

英語もいいですが、スペイン語でカラオケ唄うとハンパなくカッコいいですよ。
歌詞も短くカンタンです。さぁご一緒にどうぞ!

【EL SARIRI】
  Tengo que llegar al pueblo  Alli me espera mi madre
  Tierra de gente morena  Paisaje color aguayo
  Tierra de gente morena  Paisaje color aguayo

  Soy el sariri del Ande  Caminando muchas lunas
  Con el Wayra de amigo   Dentro de poncho al viento
  Con el calor de mi raza  Envuelto en mi recuerdo

  Way ay ay …

それではまた。御機嫌よう。
あ、今、高橋さんから二度目のコメントいただいて・・
なにやら、昨日が最澄の命日? そうなの? 存じ上げなかったんですが・・

ヴァイオリニストの彼女さんが『伝教大師最澄さまのご命日に達成されたのは、やはり法蓮さんはお導きに合われていたのですね♪』と、言って下さったそうです。
勿体のう話しで御座居ますです。
空海か最澄かと問われれば、勿論、私は高野山真言宗ですし空海なのですが、多くの日本人がそうであるように、それは空海と比べてしまうからで、彼もまた南都六宗と孤軍奮闘した熱い男なのであります。
この二人の男が、時を同じくして異なった手段ながらも、同じ星を見つめていたというのも、そして二人とも50%の確立で、生きて唐を往復したというのも、私にはその後日本仏教界に与える運命だったように思えます。


法蓮という、ちっぽけなただ一人の男が、
今までこの世に生きかされてきた意味。
今日もまた生かされているその意義。
酔生夢死の人生から発心へと救われた意味。

この瞬間を共有し生きて行く人々。
生まれし死に行くその意味を、深く深く噛み締めながら
明日も明後日も、この命尽きるそのときまで
私が私であるがため、生き様死に様を極めて貫きましょう。

男として生まれたのなら、男として生き、最後まで男として死ぬ。
そして見事、パラリと散って死んでしんぜませう。

「我が人生に一片の悔いなし」。
石原裕次郎じゃないですよ(笑、ラオウですラオウ。ヤツも男男で生き死んだヤツですね。



〜おまけ〜
以下の文を、少々舌を巻きめに読んでください。『ラ行』です。

『花の都に憧れて、飛んできました一羽鳥。
縮緬(ちりめん)三尺パラリと散って、花の都は大東京です。

金波・銀波のネオンの下で、男ばかりが坊主ではありません。
女ばかりが華でもありません。

六尺足らずの五尺の体。
今日もゴロゴロ、明日もゴロゴロ寝彷徨うわたくしにも
たった一人の餓鬼がいました。その餓鬼も今は無情に離ればなれ。
一人寂しくメリケンアパート暮らしよ。

今日も降ります仏法の雨。
刺せば天国、刺されば極楽。
比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷モンは永遠に不滅です』


コレ、何の名台詞をもじったか分かった人。貴方は永遠に友達です。(笑

道を極めるのは、極道に限らず密教坊主も同じ。
いや、坊主だからこそ、密教だからこそ極めなければなりません。
坊主の道は極めゆく道。チンピラ坊主に留まらず、極めるべし。

本日も長々とお付合い下さり有難う御座いました。


怱々