皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。
この度のえにし(ご縁)に、心より感謝致します。
今回は新たに頂戴した希有なる仏縁と、中国・空海そして密教のお話しなどを少々。


昨日深夜。
突然、アメーバからメッセージが届きました。
このライブドアブログでは滅多にないことですが、芸能人ブログも多いアメーバブログでは、矢鱈滅多らと出会い系サイトが成りすましか、サクラか知りませんが、女の子の名前で該当サイトへ誘引を促すメッセージが多いので、いつも無視しておるのです。

「なんで、そんなサイトだって分かんの?」
いえなに、こんな姑息な集客法で、どの程度のサイトやっとるんかと。
「ホントは、少しぐらい淡い期待いだいてたんじゃねーの?」
いえなに、どこにどんな風にキャッシュポイント置いとるんかと。
「本当にぃ?」
・・・ウソです。多少は。(爆


ハナから下らない冗談言ってないで本題へ入りましょう。
しかし昨今、放ったらかしの姉妹ブログ、『Mudita(ムディター)他人の幸せを喜ぶ【密教備忘録】』 に届いたメッセージは、Subjetが、『中国の真言宗弟子から拝上』 とありました。それらしい語句からだけでなく、直感的にイタズラな気がしませんた。しかも、四通もいっぺんに届いたのです。


(なんなんや一体?・・)。
開いてみると、文字数制限の関係から四通に跨って、つらづらとビッシリ書き綴られた、ブログ記事に匹敵する長い長い文章でした。そのメッセージの送り主は『世賢さん』という、中国の方で、冒頭挨拶文にこう御座いました。

「突然で申し訳ありませんが、僕は中国の真言宗弟子です。法蓮さんのブログに辿りついて、記事を読み、どうしても法蓮さんにお話しをしたくてこの便りを書き込むようになりました。」
(なんやて!?中国ぅ?)。

あぁぁ・・。なんという喜び。あぁ・・。なんという奮え。
聖天さまによって、諸神諸仏によって、ここにまた新たな仏縁を運び結んでいただいた。
しかも、今度は遠く大海原を隔てた中国から。
(聖天さま。有難う御座います!)言葉にせずには居られまい、なによりもそう、我が密教伝来、あの唐の国からであるからして。

『世賢さん』から送られてきた内容は後述するとして、彼のおかげで私は得度した当初、遍照金剛阿闍梨に約束した、或ることを思い出しました。


〜ちょっと脱線〜
近頃、歩き遍路のころのように、「お大師さん!」と呼ぶのを止めました。
確かに「同行二人(どうぎょうににん)」の親しみはありますし、尊厳を表す諡号ではありますが、今の自分にとっては最大最尊の師。
何より恵果阿闍梨が、直々に命名した僧名が、「遍照金剛=普く照らす、ダイヤモンドの如く揺ぎ無い仏心。」です。

それに、「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪われる・・・」と云いますが、歴史上、大師号を授与されたのは他に27名もおりますし、「弘法大師」は入滅後、86年も経て贈られた諡号です。
ですから、日々の勤行においてご挨拶を致す時は、「遍照金剛阿闍梨さま」又は、「遍照金剛空海阿闍梨さま」とお呼びしております。
「空海」という御名は、土佐の国、室戸岬・神明窟(しんめいくつ)≒御厨人窟(みくろど)で修行中、果てしない空と海を眺め、御自身で考案された御名。気に入られているのは当然かと思っております。ただ、皆さん読みづらいだけでしょうから、略称致しますが。


【約束】
その遍照金剛空海阿闍梨に約束したのはこれです。
「略称してへんし。いっこも。」(笑)
(空海様。貴方が命を燃やし尽し教化された密教は、1200年を越えこの日本で生き続けて下ります。私は必ずやいつの日か、真言密教系譜を以って、中国へ長安へお礼参りに伺います。)ということでありました。

ご存知のように、我が国において1200年を越え脈々と現在にまで受け継がれてきた、真言密教(台密・雑密も含む密教全て)は、インドを経て中国において、どんな国の文化をも我が国の物と飲み込む、竜虎の牙によって噛み砕かれ、それをすべて継承した空海が己の全人生を賭け、普遍の密教教義・修義を完成させました。

密教は、その発祥の地であるインドから東へ。さらにシルクロードを通り東へ長安へ。そして海を渡り、さらにさらに東の日ノ本の国へ辿り着き、静かにしっかりと根を張り、直実に生き続けて来たのであります。
現在、密教がその関係する現存の建造物や、修法、教理、経典などがここまで完全な形で、或いは人々の文化としても溶け込み残されているのは、世界で唯一我が国だけです。
(*チベット密教を根幹とする、チベット仏教は、インド仏教直系とはいえ、インドの仏教伝統が崩壊する寸前に、チベットへ伝来した無上瑜伽を特徴とする、後期密教が色濃く保存、進化されているので、厳密には空海・円仁・円珍らが持ち込み、日本が受け入れた『唐密宗』、我々の知るいわゆる中期密教とは異なります。)

なぜ、空海が『唐密宗』ではなく、『真言宗』としたのか? については今回論及致しません。が、なぜでしょう?


【密教は東へ】
何度かご紹介している、映画 『空海』 のワンシーン。長安で空海に梵語を教える年老いたインド僧が、空海にこう云いました。
「密教を東へ伝えてくれ。西から東へと。」。

なぜ、密教は仏教は東へ東へ伝えられたのでしょう。
なぜ、インドや中国では衰退していったのでしょう。
なぜ、密教はインドから中国へただ一人、恵果阿闍梨へ
なぜ、密教は中国から日本へただ一人、空海へと継承されたのでしょう。
なぜ、日本からさらに東へとは渡らず留まったのでしょう。
(オワフ島まででも相当、遠いから?)違うでしょ(笑。

確かに日本の東は広大な大海原が続く。
地球を半周する気で行けば、アメリカ大陸も見えてくるが、当時はそんな名称すらない。密教を噛み砕く文明人もいない。現在でこそ、L.A.に高野山米国別院があり、シアトルの真言密教の寺 『神護寺』 には、西部法照ご住職:著 『ほのぼのと暮らしたい。』 など、多くの寺院・開教区がありますが。

私は密教が日本に腰深く根を下したのは、そういう物理的地理的な事情だけでなく、増して成り行きではなく、もっと深遠な何かを感じずには居られません。この日本で根付いたのは、必然であったとすら思うのであります。
それを確かめる為にも、自分自身が密教の系譜を受け、東へ東へと太平洋を渡り、アメリカ、イギリス、ヨーロッパ、アフリカ、中東。そして仏教発祥の地、インドを辿り中国へ帰る。戻る。東回り真言密教世界一周まるごと巡業。みたいな。そんな遊行の旅をしてみたいとも思うのであります。

中国へ帰る。戻る。というのは、中国へ密教を返してしまう。という意味ではなく、自分という密教を以って、「ただいま。貴方達のご先祖様のおかげで、日本は今、これだけ密教が充実していますよ。こんなに沢山の人たちが救われているのですよ。」と、お礼を献上しにいくためであります。
中国無くして、現在の日本仏教は存在し得ません。私も含め、仏教に帰依する以前の人間では、例え葬式仏教であろうが、法要でも何でも、全く気付かないほど文化に溶け込んだ仏教の教えも。

仏教徒の数だけ見ると、『Buddhism by country』の統計によれば、一位は中国ですが、人口比でいえば地域にもよりますが、低いところで21%。日本は世界第二位で、比率は96%にも達します。
政府公認の総称宗教法人だけでも、十三宗五十六派。全国各地に点在する約75000の寺院、30万体以上あるといわれる仏像も、他の仏教国と比べて桁違いです。世界最古の木造寺院は法隆寺、世界最古の仏典古文書も我が国にある。
これらすべてが、中国を語らずして在りえないのです。

兎角、手を合わせる、叩く。賽銭箱があれば放り込む。
無意識信者だらけの国ということも言えるかも知れませんが、これほど日本人の心を強く捉える信仰が、他にないのもまた事実であります。

また密教も中国と云う、大いなる牙がなければ、例え空海であっても見事、密教を持ち帰れたかは定かではないでしょう。
ですから余計にそんな思いが兎角強ぅ御座居ます。
今はまだ、ハナタレ小僧ですし、そんな遊著な旅はしてられません。国内でもやることは山積です。

いつになるでしょうか。そんな遊行の日は。
例えヨボヨボになっても釈迦のように遊行し続け、ベッドの上では死にたくないものです。道端で野垂れ死ぬか、巡業中の寺院で死にたいですね。すぐ葬式出来るし。
まぁ〜わずか三年前まで、世界最長年齢差の新妻の腹上死が第一希望だった、私が云うのも甚だ小賢しいですが(爆。


【中国の密教事情】
世賢さんが、当ブログへアクセスされた切欠は、得度後に間もなく書いた、『四度加行を受ける方法 阿闍梨になる方法 密教僧になる方法』 という記事でした。
それを読んだ彼が、こう書いてくれました。
「法蓮さんの考えと気持ちは、僕とびっくりする程よく似っている事で、僕の胸に響き、共鳴を引き起こっていたからです。」
彼の便りを読み進めれば、進めるほど、私も彼と同じ気持ちになっていきました。

以後、細かく丁寧に綴られた文章を概略すると、彼は日本へ留学し明治大学に入ったものの、仕送りもなく貧乏生活を強いられ、それでもアルバイトで乗り切って立派に卒業し、帰国後日系企業に就職、その後独立して、今や多くの日本人経営者からも信頼を得る、実業家として充分な成功を収めている。・・・
しかし、そんな彼も何不自由ない(文明品に囲まれる)豊かさ、という名の物質生活に疑問を感じ、生き方を模索しだしたそうです。

うーん。この序文を読むだけでも、ワクワクを通り越してゾクゾクと鳥肌が立ってきました。
なぜなら、彼とこの先、どんな付き合いになるか分かりませんが、メールアドレスもいただいたので、これからゆっくりお返事を差し上げるつもりですが、事業家の彼となら志しを共にし、我々のビジネススキルを存分に発揮し合えば、行く行く大きな救済プロジェクトも具現化可能です。

それにしても、中国人である彼の長い長い文章は、それと前もって聞いていなければ、全く外国人であることなど疑う余地もないほど、流暢な日本語を操られる。さすが、日本の大学を出て、日本企業を相手にビジネスを展開されておられることはあります。

ここで、私たちが彼から学ぶべきこと。
それは、彼の積極かかんな行動力でありましょう。 それこそが、彼が事業家たる由縁かも知れません。確かに、日本で学び、日本人と取引する彼にとって、言葉の壁は然したるのもではなかったでしょう。しかし・・

「俺は今までこんな生き方をしてきたんだ。」
「しかし、今はこう思って生きている。」
「そして、これからはもっとこうして生きたいんだ。」
「だから、君に協力してほしいんだ!! 頼まれてくれるかい?」

結果を恐れず思いをぶつけてみる。
この積極的行動力が、今回の仏縁を結んだのだと断言出来ましょう。 先日も少し話題に触れましたが、これこそが、本当のポジティヴアクション、ポジティヴエネルギーだといいたいですね。
政府が打ち出した政策だから、政府がネーミングした和製英語でしょうが、官僚さんたちは、再翻訳したら一切通じないような、変な英語を勝手に作ると、英語圏の人間に苦笑いされましょう。もうちょっと言葉の真意を鑑みていただきたいですね。

人生の主役を張りましょう!
たかが人生。されど人生。座興だって思えば何だって出来るじゃないですか?
何度もこんな話しをしますが、貴方は貴方の人生の主役なのです。そして、プロデューサーも兼てるんですよ。これだ!って、とことん気に入ったシーンが撮れるまで、徹底的に納得の行くまで、何度だってカットして、素晴らしい最高の我が人生、という名のドラマを撮り直せばいいじゃないですか。 ねぇ?そう思われませんか?


話しは戻ります。
さらに密教教義を吸収するべく彼は、結縁潅頂、三昧耶戒をも受けられ、唐普式伝燈阿闍梨から僧名『世賢』を授与されました。
しかし、彼が言うには仏教伝教が抑圧された現在中国では、それ以上、教義を学ぶのが非常に難しいのだそうです。

事実、司馬遼太郎原作:『DVD 空海の風景』によれば、中国に文化大革命の嵐が吹き荒れ、仏教が抑圧された時代があったそうです。今尚その影響やしこりが色濃く残存しているのでしょうか。

以前ご紹介した、『空海への道』 に登場する、和人形師:内海清美の空海人形が舞い、中村吉右衛門の朗読で静かに語られる、この 『空海の風景』には、抑圧された時代に両親の反対を押し切り、出家した若い僧が映し出されます。
寛旭(かんぎょく)という、この僧こそ、中国各地で修行を積んだ後、恵果阿闍梨と空海が初めて合間見えた、障u龍寺の住職に就任された方です。


【慘胸】
西安市 障u龍寺 西安市 障u龍寺 恵果空海記念堂
画像は慘胸、恵果空海記念堂。
続く画像は、空海像と恵果像が並ぶ堂内での高野山僧侶による法要。
慘胸は長安(現在の西安市)の東、閑静な郊外に佇み、1000年近くも歴史に埋もれ放置されていたのを、再興と同時に住職となり、現代中国における密教を、唐の時代の最盛期へ復興しようと志しています。
当時31歳。空海が唐に渡った時期と同年齢。NHK放送が2002年1月ですから、2001年に取材とされたとして現在は39歳。さほど歳は変わりません。大義に生きる彼も、是非訪ねてみたいものです。


私の憧れアーキテクト。安藤忠雄設計の、司馬遼太郎の自宅。
現在は 『司馬遼太郎記念館』として一般公開されている書斎には、二万点を越す資料の中の、ほとんどを埋め尽くす仏教関連書籍。生前、そんな彼が最も好んだ作品と告白されるのが、先ほどご紹介した 『空海の風景』(単行本は上下巻。)です。
若き学生時代の司馬遼太郎が、友人と吉野から山歩きした際に、上り詰めたその先に忽然と開けたのが、山頂の一大聖地・高野山だった。とうのも、深い繋がりを感じます。
大阪にあります。メッチャ近いとこに住んだこともあります。そんときはゼンゼンッ知りませんでした。そんなんばっかしやん(笑。 第一、そんときは司馬さん、まだ亡くなってはらへんけど。


【赤岸村】
空海が唐に渡ったころ、造船技術はおろか、遠洋航海術すら無知だった日本の遣唐使船は、今にすれば正に自殺行為以外のなにものでもなかったでありましょう。生きて辿り着くか、大海に呑まれるか。四隻のうち二隻は帰らぬ船となったのですから、生存率50%の大博打です。

空海と最澄。
以後、日本の仏教界を揺るがすこの二人。その二人が乗る二隻の船だけが、命カラガラ辿り着いたのも、同じく必然であったのでしょう。今に残る各宗教の開祖たる人物は、宗派の数だけおりますが、当時の南都六宗との確執といい、空海と最澄ほど残した痕跡の偉大な開祖はいないと思います。

空海が三十四日間も漂流の末、打ち上げられるように辿り着いたのは、目的地の長安からはるか南に遠ざかった、福州(ふくしゅう)、長渓県(ちょうけいけん)、赤岸鎮(せきがんちん)、巳南(いなん)、の海口(かいこう)。
現在の福建省赤岸村です。つまり浜辺ですね。漁村でした。

この赤岸村では、『空海大師』と親しまれ、「空海を知ってるかい?」と、インタビューを受けた子供たちまで、「うん、日本人だろ? あそこにいるよ!」なんて、大師堂を指差します。
空海像に向かい、現世利益や商売繁盛を祈る村人たち。
彼らはみな一同に、「国がどこかなんて関係ない。自分たちは空海を信じている。」そう、仕事の傍ら話す村人の姿が印象的でした。

赤岸村 空海大師記念堂画像はまた先ほどのDVDから撮ったもので、94年に建てられた 『空海大師記念堂』です。
近年、日本からの参拝者が増え、『空海道路』とも地元で呼ばれるそうな、道路まで福建省が観光事業として、建設し整備された赤岸村にあります。堂内には空海像も安置されているそうです。
また、福建省には『空海研究會』なる、唐に渡った空海の優れた中国語の文章力を研究する団体も取材されていました。長年、教師をされている研究会の一人が、中国国内においても、これほどに見事な文章は見たことがない。といいます。

空海の文章力構成力は、後の著書の数々を見聞しても抜きん出ており、それも天才と呼ばれる由縁かも知れませんが、それで片付けるのには余りに疑問が残ります。
なぜ、日本人である空海が、それほどまでに流暢な中国語を、中国文法をマスター出来たのか?駅前留学も語学学習メソッドもない時代に。どうやって? しかも、梵語までたった三ヶ月でマスターしてしまったって・・。あれは幾ら何でも誇大評価でしょうか。空海研究會の彼らと一緒に、天才たる空海の秘訣を探って商品化すれば、爆発的ヒット間違いなし!かも。(笑。

それとも本当に、古人にはとてつもない記憶力や集中力を持ち合わせていたんでしょうか。ベートーベン、モーツァルト、ガリレオ、アインシュタイン、ダーウィン。なぜ、近年には彼らのような天才は存在しないのでしょうか。発展し続ける文明は、人間の本当の真価を失わせるのでしょうか。
余談ですが、今・・って、もう歩き終えたかな。歩き遍路に出ていた、 家田荘子 さんは、4年前にパソコン止めたらしいです。今、見たらサイトは更新されていますが(笑。

パソコンなどなければないで、どうにかなるのに、我々は文明に依存されすぎですね。歩き遍路のときは本当に痛感しました。パソコンなんかあるから、やれウィルスチェックだの、メンテナンスだのって面倒臭いし、高性能なものほど手入れが必要で、その手入れは孫まで受け継ぐような職人の革製品とは価値が違うわけで、こんなモンがなかったころより、確かに便利とはいえ余分なことも増えてるから、差し引きゼロかも知れませんよ。

昨今、ECO・エコ・えこ・エコ・ECOって、まるで口にすれば給付金でも貰えるぐらいの勢いで皆云いますね。オール電化もハイブリットもいいですが、マスコミに扇動され、企業戦略に踊らされることだけはないようにしましょうね。 エコの本質を捉えましょうね。 単なる消費者とは、「費やして」「消え去る」もの。ですから空しいだけなんですよ。



【皆さまへお願い】
今回、仏縁をいただいた世賢さん。
彼は既に、自習でも体感出来た真言密教の無限な力を、更に磨きに磨いて極限にまで高め、多くの困窮したる人々に施しをしたいと考えられています。私の今後興す事業もすべてが、救済事業でありたいと考えています。
40歳前後を境に、前半生を彼の言葉を引用すれば、「物欲私慾、私利の為に生きてきました。」これも私と同じ。
今後の40年を「仏の道を歩み、自他同利益、自他解脱に努力をするつもりです。」と思うのも私と同じ。

彼は今、強い意志を持って再び日本での留学を決意されています。
事業も家庭もあることから、長期間は無理でも断続的な短期での修行を受けたいと云っています。
またその理由として、日本と違い中国国内における、優位とは云えない現在の仏教・密教の立場を認めてもらい、正々堂々と胸を張って周囲の人々を救済していくには、四度加行を修し伝法灌頂を受け、総本山が認める阿闍梨にならなくてはならない。というのが彼の主張でした。


そこで読者の皆さま。
私も無論、尽力致しますが、私一人の知り得る情報などタカが知れております。
「僕は全くルートがなく、どこのどこの扉を叩いたらいいなのかわからずに・・」と云う、右も左も分からない彼をどうか、どうにか彼が仏縁に恵まれ、無事に四度加行を受けられるよう、様々な情報やご縁をお導きいただければ、誠に幸いで御座います。
こちらが、『世賢さんのブログ』 です。
第一投稿記事には、頂いたメッセージと、ほぼ同様のことが書かれております。是非、こちらもお読みいただければ幸いです。
なんでも結構です。なにか彼の役に立つような情報、ご意見などが御座いましたら、メッセージやコメントで知らせてあげて下さい。彼に直接でも私を介してもなんでも結構で御座居ます。信仰心という、代え難い共通点を持つ、皆さまの暖かいご協力を心よりお待ち申し上げております。


【聖天さまは覚えておいでどす】
思い返すと、芦屋の知己より聖天さまとのご縁をいただき、すぐにぐらいから、聖天さまに対して、『心願書』と題するものを提出してきました。始めのうちは欲張って二十項目ぐらい、書き倒しておりました。
しかし、片っ端から叶ってしまうのと、欲深さから次々願いが浮かぶのとで、また書き直したり書き加えたり繰り返しておりましたが、ふと、突き詰めれば大義に要約できると気付いてからは徐々に減り、確か・・第十三書か第十六書か・・(書いたなオイ! 恥。)そこいらから、勤行の際に口頭でお伝えする三つほどに集約致しましので、今は書いておりません。

前置き長すぎますが、(笑 始めのころにこう書いたのを思い出したのです。
「どうか、救済事業の協力者、良き理解者とのご縁を下さい。」と。
また、こうも書きました。
「どうしても四度加行を受けさせて下さい。そのためのご仏縁を下さい。」と。

アホなんですっかり忘れておりましたが、それから一流企業の部長さんでもある、マジシャン高橋さんと出遭い、彼の持つプレゼンスキルなど、勉強になることも多々ありました。救済事業にも私のビジョンにも共感して下さり、さらに人生の伴侶と相成りました。また音羽さんや、狐天狗さんとも出遭えました。

その音羽さんからは、こんな便りも頂きました。
「良き先輩を御遣わし下さいませ。」と、聖天さまにお願いしたそうです。そこに私とご縁があった。まぁこうして、それが自分であります。というと手前味噌ですが、そう云われると、こちらも真面目に取り組まねば・・と思うますがね。(って、どこの人間やねん?(笑)

このように、例え自分がアホで、頼んだ本人がド忘れたしたとしても、それでも聖天さまは、しかと叶えて下さるのです。畏れるほどのご霊験であられます。また音羽さんに言われたこともあり、こうも諭されたのだな・・と思いました。

「初心貫徹。」
社員教育でもそうですが、ちょっと成績が上がって調子付いてきたときに、少々やる気のある若手と組ませると、好成績が持続します。なぜなら、新人に負けるわけに行かず怠けられないからです。タイマン張っても怠慢貼るなってことです。

困ってる人を救いたい! など、何かを志したとき、そう思った(目覚めた・気付いた)初めての気持ちが、一番純粋で最も尊いものでありましょう。俗世の煩雑な日々を繰り返す中で、初心の気持ちがどうしても薄らいでしまうものであります。
透き通ったその頃の気持ちをずっとずっと大切に供養し、必ずやり遂げるんだ! という強い意志を持ち続けて生きたいものであります。


神棚2008年今ひとつに、以前ご紹介しました、画像のように神棚の下に『五恩に感謝』。という、三重院のご住職・法院さまから頂いた言葉を貼ってあります。
これを毎朝、神々への祝詞を上げたあとにそれぞれ、感謝を意を示しておるのですが、・・ちょっと観づらいですね。クリックすると大きくなりますが、内容はこうです。
『五恩に感謝』1、父母 2、諸人 3、国王 4、産土神 5、天地。
この一つ、ひとつに、私なりの解釈と尊厳を以って感謝を捧げるのですが、この2、諸人(もろびと)に対しては具体的にこういうのです。
「今まで出遭った方々、これから出遭う全ての方々に感謝いたします。」
そう、日々感謝を捧げてきたのも、今回の仏縁に繋がったのだと思うのであります。


皆さん。どうか今後とも、わたくし共々
仏縁をいただいた、世賢さんも宜しくお願い申し上げます。
それでは今回はこの辺で。本日も永らく有難う御座いました。


感謝合掌
法蓮 百拝




西安市 大雁塔 玄蔵三蔵〜編集後記〜
画像は西安市に建つ、大雁塔・善恩寺。手前に立っておられるのは、玄蔵三蔵。
いにしえのとき、空海も仰ぎ見たであろう、この場所へも行きたいですね。



はい。法蓮3分クッキングのお時間です。
高野豆腐が食いたい! 子供のころ、良く食べたのですが恐らく、何年何十年食ってないかも。と思い、初めて作ってみました。

作り方は超簡単。袋の裏を見て下さい(笑。ただ、裏書に、「高野豆腐が完全に浸るぐらいの鍋で・・」と、書いてあったのですが、どの程度膨らむのか分からず、結果、鍋が小さくて、スプーンで汁をかけながら、煮込みました。
兎に角、見栄え良く出来たので、夜のお給仕は済んでたのですが、もう一度仏壇を開けて、聖天さまとご先祖さまにお供えしました。基本、ウチは肉食なので聖天さまにお供えできる、夕食は珍しいし。上手いのに息子は食いやがらん。一人で三つも食べた。(恕



これは予定通り昨日の唐揚。全部で1Kg。
残りを酢鶏にするつもりが、息子が朝んなって、仕事が今日は昼からだと言い出して、唐揚の残りが殆んど昼飯に消えて無くなってしまったので、急遽、解凍した鶏肉の残りで、和風チキンステーキに変更。



鶏肉続きですが、この時期傷みが早いのでしょーがない。
下しニンニク+白ごま+酒+みりん+砂糖+ネギ+醤油に浸して焼くだけ。
あ、鶏肉は皮から強火で7割。裏返して中火で3割ね。
焼く順序は「魚身鶏皮:うおみとりかわ」って覚えましょう。
ではまた。