皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、誠に有難う御座います。この度のえにしに感謝致します。


御歳97歳になる、義理の祖母の見舞いに行きました。
自分の(法蓮の)レイバンのサングラスをかけ、百本の薔薇の花束を抱いている写真は、95歳の誕生日に撮ったものです。この年から毎年、百歳に満つるまで百本の薔薇を送ることにしております。

以前にもお話ししたことがあると思いますが、自分は愛情を注いで育ててくれた祖母の死に目に会えませんでした。それは後悔しない人生を歩んできた自分にとって、唯一深く心に悔やまれる出来事でした。
ですからそんな過去もあって、血は繋がってなかろうとも、大人になってから出会おうとも、今、「婆ちゃん。」と呼べる、この人を大切にしたいのです。ご供養とは、大事に大切に接すること。なにも、仏さまだけでなく、亡くなるのを待つ必要など全くないのであります。



この千羽鶴は見舞うたびに、祖母の話しに耳を傾けながら病室で折ったり、或いは画像のように自宅でいとまを見つけては折り溜めたものを持参します。
折鶴なんて子供のころ以来、ずっと折ったことがなく、始めは出来上がったばかりなのに、なぜかヨレヨレの老いぼれ鶴が多かったですが、近頃はシャンシャンと折れるようになって参りました。

義理の母が見舞う際に、少しずつ吊るしてくれております。義母の書いた数字が見えるかと思いますが、ただいま714(吊るしてあるのが)。 千羽まで、もう少々というところですね。



ご老人を対象とするボランティアに、傾聴(けいちょう)というものが御座います。 お年寄りは兎に角、話しを聴いて欲しいのです。
また、思い出などを話すことによって、記憶を遡り脳の健常維持にも繋がります。 何度繰り返し同じ話しをされても、耳が遠くて聞こえづらかろうと、どうかウザがらずにじっくり話しを聴いてあげましょうね。

「んで、そのとき婆ちゃんはどう思ったの?」とか、「その人は、今なにしてるの?」とか、話しの糸をほぐしてあげると、以外にもちゃんと覚えているものです。 そこでまた、記憶の糸を手繰り寄せることが出来ますから、呆け防止にも大いに役立ちましょう。

そんなこんなしながら、いつも大体一時間以上は傍にいるようにしております。 見舞う方は一時間でもかなり退屈ですが、ベッドにいる人は不憫さを考慮すれば、その二十四倍以上もきっと退屈でしょう。


お婆ちゃんはいつも、雄弁饒舌に沢山話してくれます。
「早く退院して、てっちゃんにお赤飯蒸かして、うーんと食べさせてやりたいよ。美味いよねぇ〜お赤飯は。」 いつも口癖のように、こう云ってくれます。「愉しみに待ってんだから、早く退院しなよ。」 そう受け応えするのが、この頃の常となりました。
一度、こんな話しをしました。 どう見ても、六人相部屋の中で最年長でありながら、チューブを加えたまま眠っている人、常に息苦しそうに咳き込んでいる人、そんな人たちに比べ、自力歩行できないとはいえ、一番元気そうなのでなんで退院しないのか? と、訊いたことがあります。

すると、義母から云われたのが、仕事をしているし面倒を見切れない。とのことだったそうです。ここからは、身内の話しなので恐縮ですが。 仕事なんかしなくともいいだろうと、お婆ちゃんがいうと、義母は自分の使えるお金がなくなる。と応えたそうです。
この話しもいつも繰り返される会話の一つになってしまいましたが、初めて訊いたときは少々考えてしまいました。 要するに、自分が介護してくれる人を雇うか、義母の小遣いを出せば、婆ちゃんは退院出来るのか? しかし、義母の真意も汲み取りかねます。
義母とこの件について、話し合ったことはありません。同じく義理の妹夫婦と暮らしており、決して円満とは云えない二世帯なので、一概に解決出来ないのでしょう。五歳の曾孫にも云われたそうです。

「お婆ちゃん、帰りたいなら、僕が今乗ってきた車に乗れば、すぐお家に帰れるよ。」と。
いやはや、子供心はなんとも実直ですね。確かに、車に乗れば帰れます。家から来て家に帰るのが、子供には明確に分かっていることなんですから。一切、大人のようなわだかまりや、個人個人の都合など理屈は存在しません。


さて、ひとしきり話し終えたところで、お別れの時間です。
見舞う間隔が空いていると、お婆ちゃんはなかなか繋いだ手を離してくれません(笑。
「ありがとう。ありがとう。」。そう何度も云ってくれます。
いつも、髭剃りな。というクセに、こんなときだけは、「てっちゃん、髭がカッコいいよ。」とか、調子のいいことをコキます。「婆ちゃん、イイこと云ってもダメだよ。もう帰るんだから。」 そんなやりとりを見て、隣のベッドの患者さんも笑ってらっしゃいます。

別れの挨拶は、イタリア人である自分の祖父から教わった、本場仕込の投げキッスです。
「Ti voglio bene.(ティ ヴォーリオ ベーネ:愛してるよ*身内用)と、イタリアらしい大げさな仕草をすると、婆ちゃんも同じように照れながらもチャンと返してくれます。機嫌がいいときには、唄って見送ってくれたりもします。

自分が四国歩き遍路に出る前に、身内でただ一人、直接「行ってきます。」と、告げたのもこのお婆ちゃんです。
折り紙をしまおうと、病室の引き出しを整理していると、奥から自分の書いた般若心経の写経が出て参りました。日付は平成19年2月。

願意には、お婆ちゃんの名前と、「延命長寿身体健康祈願」。そう書かれてありました。
発心して間もないころですね。
あれから二年。仏教的にも密教的にも、何よりも仏の弟子として、或いは人として男として、どれほど成長したのかどうかは、甚だ懐疑的ではありますが、本日もこのように皆さんにお話しさせて頂く事が出来まして、大変有難いなぁ〜とも思うのであります。


それではこの辺で。
本日も有難う御座いました。

また次回の講釈にて。
インガンダ〜アラ ガンダ〜アラ ってしつこい?(笑


感謝合掌
法蓮 百拝