皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、有難う御座います。この度のえにしに感謝致します。

観音経和訳もお陰さまを持ちまして、前回で一旦終えることが出来ました。ひとえに平素から皆さまの格別なご高配の賜物と、深く感謝致します。高橋司さん、早速のコメント頂戴しまして、いつも有難う御座います。特に最後の下巻は、貴方からの激励の言葉があったからこそ、早々に書き上げられました。それと、アクセス増えて良かったですね!。ウチのリンクのせいだかどうかは、一切保証出来ませんが(笑。

また、音羽さん始め、色々な方々から、「とても分かり易かった」「お経の有難さが分かった」など、ほとほと勿体無い、温かな評価をいただき、心より御礼申し上げます。

さて、しばらく堅苦しい教理が続きましたので、今回はお気楽に他愛もないお話しをいたしましょう。おヒマなときでも読んで下さればもう充分で御座います。理屈っぽい教理ばかりだと、読んで下さる方もお疲れになるでしょう?。自分も疲れますです(笑。 では、お時間がゆるりと許される限り、しばし、お付合い下さいませ。


自分は多分、子供のころからだと思いますが、興味が湧こうと沸くまいと、自分の知らないことが一つでも減ることに、大きな快感を覚えてきたのです。知識に限ったことではありません。出来ない、やったことのない事も減らしたいのです。ですから、若い頃はスポーツなら何でももっと巧くなりたい。喧嘩ならもっと強くなりたい。齢(よわい)を重ねてからは芸術にも触れたい。音楽も奏でたい。知らない国や文化を減らしたい、など。

しかし、あまりにその欲が強すぎて、(ってか、その欲ばかりでなく、その他の欲もどれもこれも強いんですが・・汗顔の至り。)アレもコレも覚えたい! 本も片っ端から読み倒したい! 読んだら全部記憶を留めておきたい! なんでもっと覚えられないのか? もっと頭が良くなりたい! まぁそうは思っても断末魔の叫びでありまして、近頃では覚えるより忘れるスピードが、数段も増してきまして(悔。




携帯電話などなかった若かりし頃は、歩く電話帳と云われるほど、3桁の電話番号を暗記していたものですが。ほとんど、女でしたが。あ、失礼。女のコでしたが。だから、島津ゆたかの懐かしいこんな唄みたいに、「男名前で電話帳に書いてある。」必要もなかったんですが(笑。

久しぶりに聴くと、いい唄ですよね。
ある意味、まだ男尊女卑バリバリの時代というのが歌詞からも伺えますね。いえいえ、肯定しているのではないですよ。ただ、かつての自分は明かに男尊女卑のブタ野郎でした。発心した今はどうだか分かりません。しかし、フェミニストでないことは確かです。かといって、アンチフェミニストでもありません。

男と女には、それぞれ生まれ持った役割がある。
と、思うだけです。互いに認め合い、尊重し合うべきところは尊重し合う。しかし、男は男だし女は女でしょう。違うから惹かれ合うのでしょう。
オネエMANSにしても、男になりたい女にしても、どっちかになりたいのであって、彼らも含めてこの世には男と女しかいないのです。男に限れば見れば、この世の女性は母と、それ以外の全ての女性に二分割されるのです。互いの魅力があってこそだと思うんですがね。長所も短所もあって当然だと思えば。
なんもかんも一緒くたになんて、出来るわけないでしょう、だって違うんですから。どっからどう見たって(笑。

我が子がために死ねるのが母である女性。他人のため、大義のために死ねるのが男。自分はそんな風に思いますけどね。全く別々の生き物と云っても差し支えないかも知れません。逆に思い切ってそう認め合った方が、互いにより良いリレーションシップが築ける。と、思うのは自分だけでしょうか。

男女共同参画社会基本法には賛同できますが、被差別民族・人種やカーストに対する直接優遇措置、「積極的」差別是正措置が本来の意義である、アファーマティブ・アクションから、遠く遊離した日本民間企業を対象とした、ポジティブ・アクションには、内閣府の労働人口減少に対する姑息な小手先手段とも見て取れるので、純粋な肯定的是正措置とは受け取れませんが。


・・もう、You Tubeで聴きました?『ホテル』の歌詞。口ずさんでますか?(笑。
しかしアレですね。いつから、こんな女性が少なくなったのでしょうか。いつから、こんなに惚れさせる男が、絶滅危惧種になったのでしょうか・・・。元々女性は非力ですから、腕力では男性に敵いません。だから、女性が少々ずる賢いところがあっても、保守的に種族を守るがための本能ですから、ちっとも悪いと思いません。こんな世の中じゃ、女性がもっと積極的に賢く振舞って生きよう。と思うのも自然でしょうね。問題は、惚れられる男が減ってるってことですね。やっぱり。



話しがひっちゃかめっちゃかですが、今回は特別テーマもないことですし、平にご容赦を。まぁ兎に角、ガツガツと貪欲に頭と身体に詰め込みたがる、魔人ブーみたいな自分でも、頭が疲れることがあるわけでありまして、そんなときは皆さんは、どうリラックスされているでしょうか。

自分は本ならこちら。待乳山聖天さまや、高崎の少林山達磨寺の休憩所にも置いてありますね。108巻にも及ぶ仏教コミックで有名な、ひろさちやさんの「無関心」のすすめ、 「狂い」のすすめ、 あきらめ力、 デタラメ・あきらめ・いい加減―仏教に学ぶ幸せな生き方などが、オススメですよ。

ここ数年の、ひろさちやさんは、より覚醒されたと申しますか、賛否両論御座いますが、何でも言い切ってしまう極論であるがゆえに、反ってスッキリします。そうかと思えば、他の著物では正反対のことを論じたりもします。そういうときは、お経と同じく極論の向こう側にある、理釈を読みとるのも面白いでしょう。

そのせいか、普段と逆のスイッチが入ることもあって、脳の違う食指に触れるといいますか。仏教に関する本は、どこかの大僧正が書いたものが多いですが、やはりお立場もあるでしょうし、難しい教理に阻まれてか、有触れた一過性の内容で、なかなか本質に触れることが出来ません。ひろさちやさんの本は兎角、頭が疲れたときに読むのは最高です。


自分は映画が好きでありますが、アメリカドラマも好きです。
韓流ドラマは嫌いです(笑。
X-ファイル(X-Files)全9シーズン公式サイトこれはもう、初回は何年前になりますかね。調べたらビデオ化されたのが15年前でした。最初はWOWOWで観てたような気がします。そのころからハマってましたね。DVDも全49巻持ってました。
過去形なのは前にも書いたかも知れませんが、発心して一時期、自分の物質至上主義を戒めるため、ほとんどの私物を気が狂ったように一気に処分してしまったので、今は大好きだった車どころか、時計すら持っていません。のです。

大好きだった車たち、大好きだった時計たち。大好きだった服。
今、お前たちはどこにいるのか。大好きなモンだらけやんけ! そう思われましたか? そうです、かつての自分は骨の髄までズッポリと、超快楽主義者でもあったので、家具にしろジュエリーにせよ、それこそありとあらゆる大好きなモノという物に囲まれて、大好きな音楽を聴き、大好きな空間で、大好きな景色の中、大好きな女性(ひと)たちと、大好きな酒を呑みながら、大好きなコトに、ひたすら勤しむのが大好きでした(爆。


まぁ兎に角、疲れたときに観るなら、単純に笑えて、尚且つ、「へぇ〜」「ほぉ〜」「ふぅ〜ん」と、言葉を漏らすものが気分転換になります。そこでオススメは、映画にもなった、【SEX AND THE CITY】ですね。以外ですか?俗っぽ過ぎますか?


いやいや、面白いんですよコレ!。先入観などに捉われず、是非、観て見てください。上の外部リンクは劇場版ですが、内容が異例の放映終了4年後に、物語の集大成として完結されているので、始めから観てないと「へぇーほぉーふぅーん」と思えないかも知れません。映画からテレビ版へは多いですが、テレビから映画へ発展するのは、先のX-Filesを含めて非常に稀なのです。

是非、シーズン1から大人買いか、大人借りして一気に観て下さい。特に男性にオススメです。赤裸々に女性心理が描かれていますから、女性不信の方、恋人や奥さんと巧く渡り合えない方、別に儲け主義のマニュアル本なんて読まずとも、このドラマを全部観れば、200万円ぐらいセミナー代を払った以上の勉強になりますよ(笑。

あと、ご結婚されている方や、されたことがある方。お子さんがいらっしゃる方には、デスパレートな妻たち。こちらもオススメです。
とある、中流階層の住宅街を舞台に、四人の個性的な主婦が繰り広げる、コメディありぃの、サスペンスありぃの、ロマンスありぃの、お得なドラマです。

映画やドラマは、英語のラーニングに最適です。
要領はこうです。好きな映画は何度も観ますよね。字幕を視て台詞も覚えてきます。
次に英語字幕にして、単語を確認します。次に字幕を消してヒアリングに集中します。慣れてくると、日本語を字幕を視ただけで、同時にヒアリングした言葉と、(アレ? 今の台詞飛ばしとるやんけ。)とか、(う〜ん、そう訳すかい?)みたいな風に、飲み込めてくると愉しいですよ。タダで英語学習。いいでしょ?




ガラッと、話しは変わりまして。
諸用があり上京した際に、運よく時間が取れたので、実に五ヶ月ぶりに待乳山聖天さまを参りました。以前、待乳山へ参るときは、本堂での読経用に、「大聖歓喜天礼拝作法」と、帰りに言問橋の袂で上げる、ご供養用に弥陀讃などを参照するために、三重院の「本山修験勤行常用集」の、少なくとも二冊の経本を持ち歩いていました。

しかし、今回は経本を一切持たずに参拝しました。
本堂にも勿論、お借り出来る経本は御座いますが、普段の暗誦の成果を試してみたかったのです。持参しようか躊躇いもしましたが、聖天さまの御前で、どれだけ溶け込めて暗誦しつつ、入我我入に浸れるか。本堂に入った心境は、ピアノの発表会のときと同じでした。ピアノもどれだけ完璧に暗譜して、家や教室で自在に弾けても、人の前で弾くのは全く違うものですよね。

かつての法蓮 ピアノ発表会
あいや〜。恥ずかしげも無く、画像をアップしてしまいました。若気の至りってやつでして(笑。
 あ〜ぁ・・そういえば、二台あったピアノも手放して、もう随分になります。それを機会に教室にも通わなくなってしまい・・。本音を云えばまた弾きたいですね。四十過ぎてからの手習いでしたから、もう絶対弾けないでしょうね。

マエスト笠原先生、ごめんなさい。お詫びに神仏に関係ないのにリンクしてますので(笑、今は、ただひたすら仏道を歩まんことを許して下さい。因みにこの笠原先生。あの假屋崎 省吾のピアノの先生でもあり、またお花のお弟子さんでもあります。なんと最近、お花の先生にもなられました。芸術的センス溢れる方には本当、憧れますね。
あ、それから断っておきますが、画像は拡大しても無駄ですよ。携帯で遠くから撮ったものなので、ほとんど顔面識別不可ですから(笑。


「大聖歓喜天礼拝作法」の中で、目下暗誦訓練中の観音経長行を除き、次第は勿論、全てのお経・観音経偈文、十一面観世音菩薩即得陀羅尼経、大聖歓喜天使咒法経、附随する諸真言。和讃まで。全て毎日暗誦してきました。もしや、この日のために。そんな心境でした。

塗香を戴いて着け、呼吸を整え気を静めます。
目を閉じて、鍵盤に指をそっと置くように、手を合わせ金剛合掌しました。(おうぅ。よう来たの・・)。聖天さまが、そう仰って下さったような気がしました。そこからは急に肩の力が抜け、普段のようにスムーズに暗誦を始められました。

しかし、あれですねー。
自宅だと、窓から外の騒音や、真後ろのリビングで息子がゲームをしている音など、次々と邪魔が入るのですが、全く気にならないのに、あんな静かな本堂内での、自動ドアの開く音や、隣の信徒さんの数珠をこする音、賽銭を投げ込む音、灯明立ての扉を開ける音、どれもこれも極わずかな音なのに、何故だか気になって仕方ありませんでした。

余談ですが、自分はキックボクシングの後遺症で、左耳がほとんど聴こえません。なのに本堂では左耳もよく聴こえるのは何故でしょうか。なので、自分と小声で話されるときは、うんと近づいて話して下さい。あ、男性の方はご遠慮なく、若干離れて右の方からどうぞ(笑。

挙句、観音経偈文の途中、気がつくと同じ箇所をグルグル二回唱えていました。
(アカン、アカン、集中せぇっ!集中っ!!)と、唱え続けました。いよいよ聖天さまのご真言を唱え、本堂での入我我入を試みましたが、結論からいえば、巧く出来ませんでした。本堂での入我我入を愉しみにしていたのですが、期待とは裏腹に聖天さまの存在が普段よりも大きく観じ過ぎてしまい、入り込めても循環しないといいますか・・。難しいですね、やはり。
結局なんやかんやで、何とか最後までで先のを除いて合計三箇所、ミスといいますか・・ピアノで例えると弾かないような人が聴いてれば、全然分からなくても、先生は勿論、自分で(あっ、やってもうた!)みたいな、凡ミスをしました。その分、最後の大金剛輪陀羅尼(参考記述) を五遍ぐらい、多めに唱えてお詫びしておきました。

本堂へ出て、いつものように右回りに、宝篋印塔(ほうきょういんとう)へ一礼合掌。三方にある本堂の外壁から、内々陣の聖天さまに向かって、聖天さまの印契を結びご真言。
「ノウボビノウヨクキャ シャキャシッチボキャシャ タニャタオン ノウヨクキャ ノウヨクキャ ビノウヨクキャ ビノウヨクキャ タラヨクキャ ハリタラヨクキャ シャカシッチ シャカシッタ   センジキャラ ソワカ」(不空三蔵訳:大聖歓喜天雙身毘那夜迦法 所収)を、三遍づつお唱え。お稲荷さんの前で、稲荷祝詞。次に丁度、お百度踏みをされている方がいらしたので、邪魔にならぬよう、タイミングを計りつつ。お百度石に額をつけ片膝を地面に伏せ、(ここで参られる、すべての方々の願いがどうぞ叶えて戴けます様に。)

あまりに久しぶりなので、以前いただいた浴油祈祷の御守も、だいぶ臭く・・(失礼。肌身につけているもので。)なっていることでしょうし、寺務所へ立ち寄りお願いしてきました。半年近く参れてなかったのに、事務の方がこちらが云わずとも、黙ってスラスラ名前を書いて下さるのには嬉しく有難く感じました。もはや、ここ待乳山では、すっかりマジシャン高橋さんの方が有名ですからね(笑。

一息つこうと、休憩所で一服。
ここである方をお待ちしておりました。
どなたをって?
マジシャン高橋さんをです(笑。実は、お参りの最中、なぜか背中に彼を観じました。と、思ったらマナーにしている携帯がぶるるんと震えました。読経を終えて振り向くと、真後ろにやっぱり高橋さん。目を瞑られて読経中だったので、とりあえず外に出て、メールを見ると、「自分が終わるまでお待ち戴けますか!」と、彼からの伝言。「勿論ですよ。」と、すぐに見られなくとも一応お返ししておいたのです。

彼と会うのも、相当久しぶりでした。
なんやかんやと話し込む間に、他の信徒さんからお声掛け頂いたりと、すっかりマジシャン高橋さんのファンも定着しているようでした。しかし、特に待ち合わせもなにもしていないにも関わらず、いつも乍ら聖天さまのご縁とは、誠に希有なるもので御座います。
『宿世(しゅくせ)如何なる善き縁(えにし)、この天(かみ)の為、結びけん。天(かみ)の恵みを身に浴びて。』by大聖歓喜天和讃。
しみじみと、そう感じた参拝日で御座いました。


それでは、下らない話しをダラダラとお付合いいただき
本日も有難う御座いました。また次回の講釈にて。
イン ガンダ〜アラ ガンダ〜アラ ゼイセェーイ・・・
懐かしいですねぇ〜(笑。 分かる人は、歳近いですね。



感謝合掌
法蓮 百拝



法蓮の膝
〜編集後記〜
以前書いたことがありましたね。
自宅では座布団を敷いてるから、本堂へ行ったときは、正座が辛いと。
そこでそれ以来、自宅でも常に生脚で勤行するようにしました。どうせ、加行に行っても、どこに修行に行っても、小僧は畳みに直に正座なんだし。と思ってね。


法蓮の足の甲まぁオッサンの脚など汚い描写で申し訳御座いませんが、画像のように、五体投地を繰り返す膝は毛が抜けて、ゾウの肌のようになっております。足の甲も然り。

打ち明けますが、自分は正座が大・大・大・大っ嫌いでした。
しつこい?(笑。 昔、着物に憧れて、呉服屋の飛び込み訪問の会社に勤めたとき、朝礼も接客もずっと正座だったので、三月と持たずケツを割りました(笑。
今でも好きではありませんが、腰に負担のかかる坐禅や胡坐よりマシです。腰もキックでいわしてるので、長時間は胡坐がかけません。やっぱり椅子が楽ですね。お大師さまも中国の椅子に坐してらっしゃるし、仏さまも正座してる人なんて一人もいないですから、する必要あるんか?って思いますけどね(笑。
そもそも、自分の足は甲高4E。要するにガンダムみたいな脚ですよ。甲高の人は殊更、正座は辛いでしょうね。だって、その盛り上がったところに体重が乗っかるんですから。まま、精進精進。