皆さん。こんにちわ。
本日もご訪問、有難う御座います。この度のえにしに感謝致します。


さて、三回連続で上・中・下と、三分割でお届けして参りました、妙法蓮華経觀世音菩薩普門品第二十五  長行(観音経・全文)/和訳も、今回で最終回で御座います。上巻にて、随分と余計なことを喋りすぎましたので、上・中・下のバランスが非常に悪う御座いまして、要するに早い話しが、今回の下巻が最も長くなろうかと思います。悪しからずご了承下さいませ。
シーンは、観音さまが三十三ものお姿に変身して、私たちをお救い下さるという場面に入ります。 さて、ツベコベ云わずに、トットと参りましょう(笑。


シーン:6
三十三応身(おうじん)、而為説法(にいせっぽう)。
*誰が為に誰が身となって説く、観音三十三化身。

三十三という数字は、"すべて" を、意味します。観音さまが、救うべき相手にとって、より相応しい、より分かりやすい、より救われやすい、様々なお姿となって現れます。これを、"すべて" の身となり応じることから、三十三応身(おうじん)と云います。
坂東三十三観音、西国三十三観音を始め、全国各地に点在する三十三観音霊場や、三十三応身をまとめて禮拝する、三十三観音信仰もここに由来しているのでしょう。

この章は先に少々予習しておくと、後が飲み込み易いかと思います。それと観音経全文、特に長い長い長行(ちょうぎょう)=今回お伝えしている部分。を、暗誦するにも、ここは順に暗記してしまうことが必須です。
その際に以下のように、分けて覚えると非常にスムーズに憶えられると思います。またいつか、長行の暗誦については、細かくお伝えしたい次第で御座いますが、今回の三十三応身でのポイントは、『8つの属性と33の種類』。これを憶えてしまいましょう。

具体的に観音さまの三十三応身とは、お経に出てくる順番に
◆1、三種の聖身(しょうしん)
1:仏身・2:辟支仏身(ひゃくしぶっしん)・3:声聞身(しょうもんしん)、の聖人たち。
◆2、六種の天身
4:梵王身・5:帝釈身(たいしゃくしん)・6:自在天身・7:大自在天身・8:天大将軍身・9:毘沙門身、の天部の神たち。
◆3、五種の人身
10:小王身・11:長者身・12:居士身・13:宰官身・14:婆羅門身、のフツーの人たち。
◆4、四種の衆身
15:比丘身・16:比丘尼身・17:優婆塞身・18:優婆夷身、の坊さんや尼さんたち。
◆5、四種の婦女身
19:長者婦女身・20:居士婦女身・21:宰官婦女身・22:婆羅門婦女身、の女性たち。
◆6、童男童女身
23:童男身・24:童女身、の子供たち。
◆7、八部身
25:天身・26:竜身・27:夜叉身・28:乾闥婆身(げんばつばしん)・29:阿修羅身(あしゅらしん)・30:迦樓羅身(かるらしん)・31:緊那羅身(きんならしん)・32:摩身羅伽身(まごらかしん)、の八部衆たち。
◆8、一身=33:執金剛身(しゅうこんごうしん)の金剛力士。

 以上が三十三応身の全容です。暗誦にトライするときに、記憶が薄く詰まってしまっても、例えば、(最初は、◆1、三種の聖身からだったな・・聖身とは、聖人のことだから・・仏⇒辟支仏⇒声聞だったよな・・次が◆2、六種の天身。これは天部だから・・)と、思い返し易くなるかと思います。では、これらを軽く頭に入れておいて先に参りましょう。


さぁ、釈尊の説法に押されっ放しの無尽意菩薩ですが、ここにきて、聴衆を代表し二つ目の質問、観音さまの「身の働き」と、「口の働き」について、如何な(云何:いかんがした)ものでありましょうか。と、投げ掛けます。
ここでやっと二つ目です。釈尊、少々喋りすぎでありましょう(笑。この章で釈尊は、無盡意菩薩の問いに答え、観音さまが、生まれや育ち、性格も信ずるものも、それこそ千差万別の我々衆生一人ひとりにとって、最も分かりやすい、最も信じられる対象としてお姿を変えてまで、お救いいただけると説いていきます。

三十三とは、"すべて"。とお話ししましたね。"すべて"ですから、なにも一見、私たちにとって、救世主にしか見えない。分かりやすいお姿、とは限りませんよ。
もしかしたら、昨夜怒鳴りあってしまった恋人も、マジでウザイとしか思えない旦那さんも奥さんも、ぶっ殺してやろうかと思う嫌味な低能上司も、頼むから消えてくれと思うアイツもコイツも、皆、観音さまの化身で、何かしら貴方に訴えているのかも知れませんね。


「身の働き」
無尽意菩薩 白仏言。世尊。觀世音菩薩。云何遊此娑婆世界。
(むーじんにーぼーさー びゃくぶつごん。せーそん。かんぜーおんぼーさー。うんがーゆうしーしゃーばーせーかい。)
無尽意菩薩は、釈尊に謹んでお尋ね申し上げた。
「世尊よ。觀世音菩薩は、どのようにして私たちの住む世界(耐え忍ぶ世界=忍土:にんど)に現れ(お遊びに給われ=遊行され)、」

「口の働き」
云何而為 衆生説法。方便之力。其事云何。
(うんがーにーいー しゅーじょうせっぽう。ほうべんしーりき。ごーじーうんがー。)
「どのようにして、人々の為に法をお説きになるのでしょうか。また、方便の力については如何(云何)なものでありましょうか。」


◆1、三種の聖身(しょうしん)
仏告 無尽意菩薩。善男子。若有国土 衆生応以 仏身得度者。
(ぶつごう むーじんにーぼーさー。ぜんなんしー。にゃくうーこくどー しゅーじょうおーいー ぶっしんとくどーしゃ。)
釈尊は無尽意菩薩に告げられた。
「善男子よ。もし、どこかの国の人々がいて(その人たちが)、応(まさ)に、仏さまの身をもって得度すべき者(仏さまが説けば救われる者)には、」

觀世音菩薩。即現仏身 而為説法。
(かんぜーおんぼーさー。そくげんぶっしん にーいーせっぽう。)
「觀世音菩薩は即ち、仏さまの身となって現れ、その者の為に法を説き(救い教え)、」

応以辟支仏身 得度者。即現辟支仏身 而為説法。
(おーいーひゃくしーぶっしん とくどーしゃ。そくげんひゃくしーぶっしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、辟支仏(びゃくしぶつ)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、師持たずして独自に、十二因縁の教えによって悟りを得た、縁覚(えんがく)・独覚(どくがく)と呼ばれる孤高の聖者たち。つまり、辟支仏の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以聲聞身 得度者。即現聲聞身 而為説法。
(おーいーしょうもんしん とくどーしゃ。そくげんしょうもんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、声門(しょうもん)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、「苦(く)・集(じつ)・滅(めつ)・道(どう)」なる、四つの真理、いわゆる四諦を学び悟ろうとする羅漢たち。つまり、声門の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

◆2、六種の天身
応以梵王身 得度者。即現梵王身 而為説法。
(おーいーぼんのうしんとくどーしゃ。そくげんぼんのうしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、梵王の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、六道界のうち、天上界の中の色界十八天。更にその中の三つの天からなる第一禅天の王であり、初禅最高位第三天・大梵天に住まわれる、淫欲や食欲なき清浄なる梵王の身となって現れ、煩悩を脱したいが者の為に法を説き、」

応以帝釈身 得度者。即現帝釈身 而為説法。
(おーいーたいしゃくしんとくどーしゃ。そくげんたいしゃくしん  にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、帝釈(たいしゃく)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、同じく天上界の中の欲界六天、更にその中の第二天―三十三天。いわゆる、忉利天(とうりてん)の主で、須弥山(しゅみせん)山頂に住まわれし、『男はつらいよ』寅さん〜あの柴又帝釈天宜しく。善行を喜ばれる帝釈天の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以自在天身 得度者。即現自在天身 而為説法。
(おーいーじーざいてんしん とくどーしゃ。そくげんじーざいてんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、自在天の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、欲界第六天、いわゆる他化自在天に住まわれる魔王となり、先とは逆に悪行専科の自在天の身となって現れ、どーしよーもない者の為に法を説き、」

応以大自在天身 得度者。即現大自在天身 而為説法。
(おーいーだいじーざいてんしん とくどーしゃ。そくげんだいじーざいてんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、大自在天の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、色界十八天最上階、色究竟天(しきくきょうてん)に住まわれる、魔の首(かしら)大魔王なる大自在天の身となって現れ、極めてどーしよーもない者の為に法を説き、」

応以天大將軍身 得度者。即現天大將軍身 而為説法。
(おーいーてんだいしょうぐんしん とくどーしゃ。そくげんてんだいしょうぐんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、天大将軍の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、軍神なる天大将軍の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以毘沙門身 得度者。即現毘沙門身 而為説法。
(おーいーびしゃもんしん とくどーしゃ。そくげんびしゃもんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、毘沙門の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、法を良く聞き給う多聞天(たもんてん)の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

◆3、五種の人身
応以小王身 得度者。即現小王身 而為説法。
(おーいーしょうおうしん とくどーしゃ。そくげんしょうおうしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、小王の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、王の下の位に位置する支配者なる、例えるなら日常の人間の城主として、小王の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以長者身 得度者。即現長者身 而為説法。
(おーいーちょうじゃーしん とくどーしゃ。そくげんちょうじゃーしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、長者の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、徳の有る富豪の姿として、長者の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以居士身 得度者。即現居士身 而為説法。
(おーいーこーじーしん とくどーしゃ。そくげんこーじーしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、居士の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、在家のまま修行する男子仏教徒、居士の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以宰官身 得度者。即現宰官身 而為説法。
(おーいーさいかんしん とくどーしゃ。そくげんさいかんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、宰官の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、官史役人の姿として、宰官の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以婆羅門身 得度者。即現婆羅門身 而為説法。
(おーいーばらもんしん とくどーしゃ。そくげんばらもんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、婆羅門の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、四姓制度(カースト)の最上位、司祭階級者なる婆羅門の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

◆4、四種の衆身
応以比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷身 得度者。即現比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷身 而為説法。
(おーいーびく びくに うばそく うばいしん とくどーしゃ。そくげんびく びくに うばそく うばいしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、出家者の男女や、在家信者の男女、それぞれの身となって現れ、それらの者たちの為に法を説き、」

◆5、四種の婦女身
応以長者 居士 宰官 婆羅門婦女身 得度者。即現婦女身 而為説法。
(おーいーちょうじゃー こーじー さいかん ばらもんぶーにょーしんとくどーしゃ。そくげんぶーにょーしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、(先述の)富豪や、在家修行者や、役人や、家柄の良い者など、それそぞれの妻や娘の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、それぞれの婦人、婦女の身となって現れ、その者たちの為に法を説き、」

◆6、童男童女身
応以童男童女身 得度者。即現童男童女身 而為説法。
(おーいーどうなんどうじょーしん とくどーしゃ。そくげんどうなんどうにょーしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、童男童女の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、男の子や女の子の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

◆7、八部身
応以天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦樓羅 緊那羅 摩羅伽 人非人等身 得度者。即皆現之 而為説法。
(おーいーてんりゅう やーしゃー げんだつばー あしゅらー かるなら きんなら まごらーかー にんぴーにんとうしんとくどーしゃ。そくかいげんしー にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、天人や、竜神や、鬼神の夜叉や、音楽神である乾闥婆(けんだつば)や、戦闘神である阿修羅や、竜をも食する獰猛(どうもn)な巨鳥獣である迦楼羅(かるら)や、半身半獣なるも美声の音楽家である緊那羅(きんなら)や、大蛇神なる摩喉羅伽(まごらか)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち皆、その者たちに相応しい様々な神や生き物として、人の身に非ず人の身をした身となって之に現れ、その者たちの為に法を説き、」

◆8、一身
応以執金剛身 得度者。即現執金剛身 而為説法。
(おーいーしゅうこんごうしん とくどーしゃ。そくげんしゅうこんごうしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、執金剛神(しゅうこんごうじん)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、金剛杵(こんごうしょ)を手にした、護法善神なる身となって現れ、その者の為に法を説かれる。」


無尽意。是觀世音菩薩。成就如是功徳。以種種形 遊諸国土度脱衆
生。
(むーじんにー。ぜーかんぜーおんぼーさー。じょうじゅーにょーぜーくーどく。いーしゅーじゅーぎょう ゆーしょーこくどーどーだつしゅーじょう。)
「無尽意よ。このように觀世音菩薩は功徳を成就され、ありとあらゆるお姿に化身されて、諸国を遊行しつつ、どこにでも忽ち現れて人々を悟りへとお導き下さるのだ。」

是故汝等。応等一心供養 觀世音菩薩。
(ぜーこーにょうとう。おうとういっしんくーよう かんぜーおんぼーさー。)
「・・であるからして、お前たちは応等(まさ)に、それこそ一心に、觀世音菩薩を供養しなさい。」

是觀世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中
(ぜーかんぜーおんぼーさーまーかーさ。おーふーいーきゅうなんしーちゅう)
「そうすれば必ず、觀世音菩薩は、どんな怖い目にあっても、突然降りかかる困難や難題にあっても、怖ろしさを取り除いて下さる。」

能施無畏。是故此娑婆世界。皆號之為 施無畏者。
(のうせーむーいー。ぜーこーしーしゃーばーせーかい。かいごうしーいー せーむーいーしゃ。)
「故に、世間の人々は皆、無畏(落ち着き)を、能く(よく)施して下さる方として、(観音様のことを)、施無畏者(安心を与えて下さる方)とも呼ばれるのである。」


いかがでしたでしょうか?

『是故汝等。応等一心供養 觀世音菩薩。』
自分は、観音経の中で、このフレーズが一番好きです。

読誦しているときも自然に、
『ぜーこー にょうとう。 おうとう いっしんくーよう』と、
『一心供養』をピークに、手前の『以種種形 遊諸国土度脱衆生。』から一気に息継ぎせず、段々に大きく唱えるようにしています。ここまでは息しないで下さい(笑。
楽譜の記号で云えば、クレッシェンドですね。< ←これのもっと細長いヤツです。ついでに、rfz(リンフォルツァンド:特に強く)でも付けときましょうかね。ff(フォルティッシモ)より、もっともっと強く。です。まぁそれくらい、強調すべきかと。

観音経長行では、この『一心』という言葉が、冒頭のシーン:1『一心称名・皆得解脱』、シーン:2『七つの難』、そして先ほどのシーン:6『三十三応身・而為説法』と、三度登場します。
以前、待乳山聖天での法要に参列させて頂いたとき、本堂に響く大勢の信徒の皆さんが合掌されるお声が、この『一心』の部分を自然と強調されていたように聴こえましたのも、半ば気のせいではなかったとも思います。

信仰において、この『一心』とは、近頃とても大事なことのように思えます。一心と云えば、『一心不乱』を思いつきますね。一つのことに集中し、必死のパッチになることですが、仏教の云う、ここで云う、『一心』とは、そんなただの一生懸命さとは、少し違います。

般若心経に観る、『色即是空(しきそくぜくう)』。これは、「イロごとは、空しいからお止めなさいよ。」では、ありません(笑。 =色(しき)即ち是、空なり。で云われる、『しき』とは、全ての『物体』のこと。私たちに『心』があるから、『物体』が見えてくる。と解釈されています。
余談ですが、好きな映画でよく口ずさんでしまう、千と千尋の神隠しの主題歌、〜いつも何度でも〜の、最後の部分、【ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ〜】。ご存知ですよね。

空は、古代インド原語の zUnya (シューニャ)。これ自体は、ないという意味ですが、シュニャータと名詞になると、数字のゼロになります。なんとなく、空という文字を、「そら」ではなく、「くう」と発音すると、空虚を連想したりして、とても空しい感じがします。本当はそういう意味ではないのですが。
これが余計に空を、そして仏教を理解し辛くする原因なのでしょうか。イエスさま、アーメン。と云ってる方が確かに分かりやすいです。
同曲の作詞家、覚 和歌子さんは〜ゼロになるからだ〜という、本も書いておられます。また、近頃、宮崎駿監督の映画をDVDで観るたびに、物凄く仏教的な要素が随所に散りばめられている。と感じるのは、自分だけでしょうか。神仏との関わり、森羅万象との繋がり。密教的でもあり、神仏習合の修験道にも通ずるものを、彼の作品の物語や台詞の一つ一つに観じるのです。宮崎駿監督の人物像自体、よくは存じ上げませんが、自分が勝手に仏教的に観るからそう思うのでしょうか。それとも、根底に仏教的なものを取り込んで、メッセージ化しているのでしょうか。

デジタルの世界は二進法ですよね。ゼロとイチで書かれたプログラミングです。マイナス1とプラス1を足せば、ゼロです。最も均整のとれた状態。普遍なる力の満ちた境地です。空を考え出すと延々長くなるので本文に戻りましょう。

ですから、この場合の一心とは、迷い無く、曇りなく、無心で信ずる心。天地宇宙と一体となる、唯一無我の境地です。「これは、あーじゃこーじゃ。」という、自分自身の分別を一切払拭し、仏さまにお任せし切ってしまうことです。任せる・・。これもちょっと理解し辛いトコなんですね。「じゃあ、おんぶに抱っこでええんかい?」 って、そうでもないんです。
参考にさせて頂いた、「愛と救いの観音経」の中で、寂聴さんが上手に述べられているので、引用しますが
、「私たちは大したものでもないのに、わずかばかりの知識や教養を心のどこかで得意にして、物事を分別します。その自信を一度、すっかり捨て切ってしまうことです。」

自分と云う、ちっぽけな物差しを捨て、天地宇宙の物差しに任せきってしまうことだと云います。理屈を言わない。計らいを捨てる。ただひたすら一心に唱えること。

『大聖歓喜天 和讃』*待乳山読誦版 の八番。『乳を求めて母を呼ぶ、嬰児(みどりご)の如く、ひたすらに。』・・と御座いますが、赤ちゃんがお母さんのオッパイが欲しい!、と思う、心境ってどうでしょうか?
 赤ちゃんがオッパイを飲むのは、生きるためですね。言葉も喋れない赤ちゃんは、泣き叫ぶしかありません。正に自らの生命を賭けて、身体中を震わし、渾身の思いで叫ぶのです。死にたくない一心です。
そして一番最後の一節で、繰り返し『嬰児が母にすがらむそれのごと 是非をば捨てて 唯すがらなむ。』 要するに、赤子のようにひたすら純真に、命を賭けて(預けて)。ということですね。ゴチャゴチャゴチャ抜かすな。ということですね。


自分ごときの信仰心は、まだまだ下心のある領域を脱することが出来ません。仏の大欲へと昇華したい。そう願いつつも、小欲を欲する気持ちも完璧には消し去れません。
供養したから、お墓参りしたから、寄進したから、祈祷してもらったから、これこれこれだけやっているから。・・・どうしても、それらの見返りを求めてしまいがちです。
でも、考えたら、そうじゃないって分かることなのです。だって、神仏の御利益は、信心の年数で決まるのですか? 寺院寺社への喜捨ですか? だったら、二十年、三十年と、待乳山聖天に通っている信徒さんに勝てません。生駒山聖天に一億寄進した人にも敵うわけありません。もしそうだったら、そちらさん優先で御利益が下されるでしょう。

しかし、それはそれで納得がいきませんでしょう?
だって、どうやったって、キャリアは遡れないし、そもそも、お金の悩みや心の苦しみがあるから、神仏に縋るんですよね。
100回祈ったから、100万だったら、一回祈り賃が一万円ですか?だったら誰も働かなくないですか?虚空蔵求聞持法を、真っ先に一億遍唱えたら、一億円やるぞ。と云われたら、寝ずにやるでしょ?でも、そうじゃないですよね。だから、一心とは、供養したらどうなるこうなる。云々すんぬんという、心を捨て、己を捨て、全部捨てて、無我一心になるということです。信とは、任せ切ることです。信仰とは、任せ切って仰げばいいんですね。


シーン:7
瓔珞章(ようらくしょう)自在神力(じざいじんりき)

いよいよ、舞台は最終章。フィナーレに突入します。
いやぁ〜長かったですねぇ〜。誤字脱字、皆目自信ありません(笑。
ここまで読んで下さっている方、特に携帯からアクセスされている方、本当にお疲れ様です。ホンマ、感謝感激大合掌です。空も白み始めました。書いた甲斐がありました。アレ・・・。思わず瞼が滲んできてしまいました。
すいません。涙はウソです(笑。空はホンマです。でも本当に、有難う御座います。

無尽意菩薩 白仏言。世尊。我今当供養 觀世音菩薩。
(むーじんにーぼーさーびゃくぶつごん。せーそん。がーこんとうくーよー かんぜーおんぼーさー。)
(話しを聞き終えた)無尽意菩薩が、釈尊に謹んで申し上げた。
「世尊よ。わたしは今、当(まさ)に觀世音菩薩をご供養します。」

即解頚 衆宝珠瓔珞。價直百千兩金。而以與之。作是言。
(そくげーきょう しゅーほうじゅーようらく。げーじきひゃくせんりょうごん。にーいーよーしー。さーぜーごん。)
そう云って、すぐさま自分の頸(くび)に掛けていた、百千両金もの価値のする、非常な高価で様々な金銀宝飾を外し、之を觀世音に差出しこう云った。

仁者。受此法施 珍宝瓔珞。
(にんしゃー。じゅーしーほっせ)
「慈しみ深い方、仁者(にんしゃ)よ。どうぞ、この珍宝の法施(ほっせ)をお納め下さい。」

時觀世音菩薩 不肯受之。
(じーかんぜーおんぼーさー ふーこーじゅーしー。)
そのとき、觀世音菩薩は肯(あ)えて、之を受け取らなかった。

無尽意 復白觀世音菩薩言。仁者。愍我等故 受此瓔珞
(むーじんにー ぶーびゃくかんぜーおんぼーさーごん。にんしゃー。みんがとうこー じゅーしーようらく)
無尽意菩薩は復(また)、觀世音菩薩に謹んで申し上げた。
「慈しみ深い方、仁者(にんしゃ)よ。私たちを愍(あわ)れむのなら、どうかこの首飾りをお受取下さい。重ねてお願いします。」

爾時 仏告觀世音菩薩。
(にーじー ぶつごうかんぜーおんぼーさー。)
そのとき、釈尊は(押し問答になってしまい、困り果てる無盡意菩薩のため仲立ちし)、觀世音菩薩に向かいお告げになった。

当愍此 無尽意菩薩 及四衆 天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦樓羅 緊那羅 摩羅伽 人非人等故。受是瓔珞。
(とうみんしー むーじんにーぼーさー ぎゅうしーしゅー てん りゅう やーしゃー げんだつばー あしゅらー かるなら きんなら まごらーかー にんぴーにんとうこー。じゅーぜーようらく。)
「(觀世音菩薩よ。)当(まさ)に愍れんで、無尽意菩薩を始め(及び、)四衆、天人、竜神、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩喉羅伽、人に非ず人とする者、皆々の心も汲み取り、この志しを(首飾りを)受け取られまいか。」

即時 觀世音菩薩 愍諸四衆 及於天龍 人非人等。受其瓔珞。
(そくじーかんぜーおんぼーさーみんしょーしーしゅー ぎゅうおーてんりゅう にんぴーにんとう。じゅーごーようらく。)
すると即座に觀世音菩薩は、諸々の四衆及び天竜、人に非ず人とする者等を愍れんで、その首飾りを受取ると、」

分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔。
(ぶんさーにーぶん。いちぶんぶったーほうぶっとう。)
首飾りを二つに分け、一つは釈迦牟尼仏陀に奉(たてまつ)り、もう一つを多宝仏塔に奉った。

無尽意。觀世音菩薩。有如是 自在神力。遊於娑婆世界。
(むーじんにー。かんぜーおんぼーさー。うーにょーぜー じーざいじんりき。ゆーおーしゃーばーせーかい。)
「無尽意よ。觀世音菩薩はこのように自在の神力を有して、この娑婆の世界を遊行されている(今、この瞬間にも、常に我々の世界に来られている、そして御利益を下さっている。)のである。」

爾時 無尽意菩薩。以偈問曰。
(にーじー むーじんにーぼーさー。いーげーもんわつ。)
そのとき、無尽意菩薩が詩(偈頌:げじゅ)を以って質問した。


はい。お疲れ様でした。
これで観音経 長行/和訳(上・中・下)は終りです。ここまでお付合い下さいまして、本当に有難う御座いました。

・・えっ? まだ終わってねーだろって?
無盡意菩薩が、なんか質問してんだろって?
あぁ、放っといていいんですよ(笑。いや、実は、そうなんです。
すっ呆けて終わろうとしておりますが、ここから、(偈頌:げじゅ)。いわゆる、皆さんが良く読誦されている、偈文(げもん)がまだあるんですねぇ。もう既に、『爾時 無尽意菩薩。以偈問曰。』から、偈頌は始まっています。チラ見せの予告です。

上巻でお話ししました、長行(ちょうぎょう)という、散文部分はこれで全て終了です。ここでフィナーレなのです。偈文もほとんど云わんとするところは同じです。ただ、唄にして歌い上げているのです。ですから、偈文はアンコールということになります。いずれ、偈文も全て和訳してお届けしたいかと思いますが、一旦、ここで連続・観音経シリーズに幕を閉じさせて頂きたいと思います。どうか、釈尊と無盡意菩薩を、スタンディングオベーションで見送ってあげて下さい。そうすれば、アンコールも早くなるかもです(笑。


本日も有難う御座いました。

感謝合掌
法蓮百拝

 
滝修行〜編集後記〜
お知らせです。
昨年、大変お世話になった、本山修験道宗三重院から、ひとなぬかの滝修行のご案内です。自分も参加した滝修行です。老若男女問わず、初めての方でも、先達(村上圓信副住職)が、懇切丁寧に厳しく(笑 教えて下さいます。

自分は、この先達の【ひとなぬか】という、表現され方が大好きです。
因みに、真淨からの紹介です! と、云って貰えれば、あ・・真淨(しんじょう)というのは、三重院で修行中に、法院さま(ご住職)に、つけていただいた、役名です。しかし、なぜか、先達は自分のことを、淨哲! と、戒名で呼ばれますが(笑。又は、法蓮のブログをたまたま読んだ! と申し込み時に言っていただくと、特典か特割が、『あると思います!』。


いや、ウソです。ないと思います(笑。

期間:平成21年6月8日(土)から14日(日)までの一週間。
参加日数:日帰り〜六泊まで。初心者可。
場所は群馬県水上です。新幹線止ります。高速ICからも近し。
詳細は、三重院ホームページお知らせコーナーまで。




〜おまけ〜
妙法蓮華経觀世音菩薩普門品第二十五  長行/和訳(上・中・下)+偈頌(げじゅ)=観音経全文を、解説なしにまとめました。但し、偈頌はまだ和訳しておりません。ご了承下さい。
解説は読んでしまえば邪魔なだけですから、こちらの方が全体を見渡せて読みやすいかとも思います。一応、チャクプター分けだけは残してあります。経本には本来ないものですので、ご不要ならばどうぞ削除して下さい。
和訳もちょん切れば、読み易い経本の出来上がりです。暗誦など練習用などに、ダウンロードされるなり、印刷されるなりして、ご自由にお役立て下されば幸いで御座います。

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【妙法蓮華経觀世音菩薩普門品偈第二十五  長行(観音経・前文)/和訳】
シーン1:
一心称名 皆得解脱

爾時。無尽意菩薩 即從座起。偏袒右肩
(にーじー。むーじんにーぼーさー そくじゅーざーきー。へんだんうーけん)
釈尊がまさに第二十五品を説かれようとした其の時、無尽意菩薩が弟子達の中から立ち上がり、右の肩を肌脱ぎにし、

合掌向仏而作是言。世尊 觀世音菩薩。
(がっしょうこうぶつにーさーぜーごん。せーそんかんぜーおんぼーさー。)
合掌して、釈尊に向かってこう云いました。

以何因縁名觀世音。仏告無尽意菩薩。
(いーがーいんねんみょうかんぜーおん。ぶつごうむーじんにーぼーさー。)
「世尊よ。観世音菩薩様は、どういう因縁で観世音と名づけられたのですか?」

善男子。若有無量 百千万億衆生 受諸苦悩。
(ぜんなんしー。にゃくうーむーりょうひゃくせんまんおくしゅーじょうじゅーしょーくーのう。)
釈尊が、無尽意菩薩にお答えになり、「さて、善男子よ」と呼びかけられました。
「もし、過去現在未来全ての世界の生きとし生ける者達が、様々な苦悩を受けたとき、」

聞是觀世音菩薩。一心稱名。
(もんぜーかんぜーおんぼーさー。いっしんしょうみょう。)
「この観世音菩薩の御名を聞いて、一心にその御名を称えたならば、」

觀世音菩薩 即時觀其音聲 皆得解脱。
(かんぜーおんぼーさーそくじーかんごーおんじょうかいとくげーだつ。)
「観世音菩薩は即時にその音声を観じて、つまり、世の音を観ずる(知る、観る、察するして)、それらの苦しみからすっかり解放して下さるのである。」


シーン2:
七つの難

第一難:火難
若有持是 觀世音菩薩名者。設入大火火不能焼。由是菩薩威神力故。
(にゃくうーじーぜー かんぜーおんぼーさーみょうしゃ。
せつにゅうだいかーかーふーのうしょう。ゆーぜーぼーさーいーじんりきこー。)
「もし、この観世音菩薩の御名を常に受持する者は、設い(たとい)燃え盛る火中に入っても、菩薩の威神力によって、その身を決して焼くことは出来ない。」

第二難:水難
若為大水所漂。稱其名號 即得淺処。
(にゃくいーだいすいしょうひょう。しゅごーみょうごう そくとくせんじょー。)
「もし、大洪水に漂わされても、観音の御名を称えたならば。たちまち浅い所に逃れることが出来る。」

第三難:風難
若有百千万億衆生。為求金銀瑠璃硨磲碼碯珊瑚虎珀眞珠等宝。
(にゃくうーひゃくせんまんおくしゅーじょう。いーぐーこんごんるーりーしゃーこーめーのーさんごーこーはくしんじゅーとうほう。)
「もし、三世世界の人々が、金、銀、瑠璃、硨磲(しゃこ)、瑪瑙(めのう)、珊瑚、琥珀、真珠、等など、海の珍宝を求めんが為に、」

入於大海。假使黒風 吹其船舫。飄墮羅刹鬼国。
(にゅうおーだいかい。けーしーこくふう すいごーせんぼう。ひょうだーらーせつきーこく。)
「大海を渡っていると、突如暴風雨が吹き起こり、船が漂流し、人食い羅刹鬼の国に吹き寄せられそうになったとしても、」

其中若有乃至一人。稱觀世音菩薩名者。是諸人等。皆得解脱 羅刹之難。
(ごーちゅうにゃくうーないしーいちにん。しょうかんぜーおんぼーさーみょうしゃ。ぜーしょーにんとう。かいとくげーだつ らーせつしーなん。)
船中にたった一人だけでも、觀世音菩薩の御名を称えている者がいれば、乗船者は皆、羅刹の難から逃れ脱することが出来る。」

以是因縁 名觀世音。
(いーぜーいんねん みょうかんぜーおん。)
「是の因縁を以って、觀世音と名づけるのである。」

第四難:刀杖難(剣難)
若復有人。臨当被害。稱觀世音菩薩名者。
(にゃくぶーうーにん。りんとうひーがい。しょうかんぜーおんぼーさーみょうしゃー。)
「もし、また人が、今にも斬り殺されるか、殴り殺されそうな害を受けた時、觀世音の御名を称えれば、」

彼所執刀杖。尋段段壞。而得解脱。
(ひーしょーしゅうとうじょう。じんだんだんねー。かいとくげーだつ。)
「相手の振り上げた刀杖(とうじょう)であれ棍棒であれ、尋(つ)いで段々に壊れて、逃れ脱することが出来る。」

第五難:悪鬼難
若三千大千国土 満中夜叉羅刹。欲来悩人。
(にゃくさんぜんだいせんこくどー まんちゅうやーしゃーらーせつ。らくらいのうにん。)
「もし、三千大千国土の中に満ち満ちている、夜叉羅刹どもが大挙して襲ってきて、人を苦しめ悩まそうとしても、」

聞其 稱觀世音菩薩名者。是諸悪鬼。尚不能以悪眼視之。況復加害。
(もんごー しょうかんぜーおんぼーさーみょうしゃ。せーしょーあっきー。じょうふーのーいーあくげんじーしー。きょうぶーかーがい。)
その人がこの觀世音菩薩の御名を称えるのを聞けば、これらあらゆる悪鬼どもは、悪意の眼が見えなくなり、増してやそれ以上害を加えることなど到底出来なくなってしまう。」

第六難:枷鎖(かさ)難
設復有人。若有罪若無罪。杻械枷鎖 檢繋其身。
(せつぶーうーにん。にゃくうーざいにゃくむーざい。ちゅうかいかーさー けんげーごーしん)
「設いまた人が居て、もし有罪だろうと無罪だろうと、首枷(くびかせ)、足枷、鎖で牢獄に束縛され繋がれようとするときに、」

稱觀世音菩薩名者。皆悉断壞 即得解脱。
(しょうかんぜーおんぼーさーみょうしゃ。ししつだんねー そくとくげーだつ。)
觀世音菩薩の御名を称えれば、皆、悉(ことごと)く、枷や鎖がバラバラに千切れ壊れて、忽ち被害から逃れ脱することが出来る。」

第七難:怨賊難(おんぞくなん)
若三千大千国土 満中怨賊。有一商主將諸商人。
(にゃくさんぜんだいせんこくどー まんちゅうおんぞく。うーいちしょうしゅーしょうしょーしょうにん。)
「もし、大宇宙の中に充満する、怨めしい賊が横行しているとする。一方、ここに一人の大商人がいて、」

齎持重宝 経過嶮路。其中一人 作是唱言。
(さいじーじゅうほう きょうかーけんろー。ごーちゅういちにん さーぜーしょうごん。)
「多くの商人を引き連れ隊商を組んで、大切な宝物を持ち抱え、険しい路を通過しようとしている。しかも、いつ山賊に襲われるか分からない。そんな状況下で、その一隊の中の一人が觀世音の御名を称えた。」

諸善男子 勿得恐怖。汝等応当 一心稱觀世音菩薩名號。
(しょーぜんなんしー もつとくくーふー。にょうとうおうとう)
「全ての善男子よ。何も恐れ脅えることはないのだ。お前達はいつでも一心に、ただ觀世音の名号を称えさえすればいいのだ。」

是菩薩 能以無畏 施於衆生。汝等。若稱名者。於此怨賊 当得解脱。
(ぜーぼーさー のーいーむーいー せーおーしゅーじょう。にょうとう。にゃくしょうみょうしゃ。おーしーおんぞく とーとくげーだつ。)
この菩薩は能(良)く、我々から畏れを無くす様に施して下さる。お前達がもし、觀世音の御名を称えるならば、この怨賊に襲われることなどありはしない。」と。

衆商人聞 倶発聲言 南無觀世音菩薩。稱其名故即得解脱。
(しゅうしょうにんもん ぐーほつしょうごん なーむーかんぜーおんぼーさー。しょうごーみょうこーそくとくげーだつ。)
「これを聞いた多くの商人たちは、一斉に声を発(あ)げて、南無觀世音菩薩というだろう。その御名を称えた故に、即刻難から逃れ脱することが出来る。」

無尽意。觀世音菩薩摩訶薩。威神之力巍巍如是。
(むーじんにー。かんぜーおんぼーさーまーかーさー。)
「無尽意よ、觀世音菩薩摩訶薩は、威神の力は誠、偉大(巍巍)なること、之のようなものである。」

シーン3:
三毒の難(煩悩からの解脱)

一、貪欲
若有衆生 多於婬欲。常念恭敬 觀世音菩薩。便得離欲。
(にゃくうーしゅーじょう たーおーいんよく。じょうねんくーぎょう かんぜーおんぼーさー。べんとくりーよく。)
「もし、人々の中に、性欲が強く悩む者がいて、抑えきれない婬欲が湧き上がったとしても、いつでも觀世音菩薩を念じて、恭(うやうや)しく、敬いさえすれば、便(すなわ)ち、独りでに婬欲が心を離れることが出来るだろう。」

二、瞋恚
若多瞋恚。常念恭敬 觀世音菩薩。便得離瞋。
(にゃくたーぐーちー。じょうねんくーぎょう かんぜーんぼーさー。べんとくりーちー。)
「もし、何かにつけて怨みや怒りを覚えることが多い者がいても、いつでも觀世音菩薩を念じて、恭(うやうや)しく、敬いさえすれば、便(すなわ)ち、瞋(いか)りが心を離れ、腹も立てずに済ますことが出来る。」

三、愚癡
若多愚癡。常念恭敬 觀世音菩薩。便得離癡。
(にゃくたーぐーちー。じょうねんくーぎょう かんぜーおんぼーさー。べんとくりーちー。)
「もし、愚かな考えばかりに捉われる者がいても、いつでも觀世音菩薩を念じて、恭(うやうや)しく、敬いさえすれば、便(すなわ)ち、それら愚な心の淵から離れることが出来る。」

無尽意。觀世音菩薩。有如是等 大威神力 多所饒益。是故衆生 常応心念。
(むーじんにー。かんぜーおんぼーさー。うーにょーぜーとう だいいーじんりき たーしょーにょうやく。ぜーこーしゅーじょう じょうおうしんねん。)
「無尽意よ。觀世音菩薩はこのように、大いなる灼(あら)たかな御力を持っていて、沢山の利益で囲んで下さることが多々ある。是(これ)故に、人々は常に応(まさ)に、心に觀世音を念ずるべきであろう。」


シーン4:
二求章(にぐしょう)

若有女人 設欲求男。禮拜供養觀世音菩薩。便生福徳 智慧之男。
(にゃくうーにょーにん せっちょくぐーなん。らいはいくーようかんぜーおんぼーさー。べんしょうふくとく ちーえーしーなん。)
「もし、婦人がいて、設し男の子を欲しいと願うものなら、觀世音菩薩を拝んで大事にすれば、便ち福徳智慧を備えた、大層利口な男の子を生むだろう。」

設欲求女。便生端正 有相之女。宿殖徳本 衆人愛敬。
(せっちょくぐーにょー。べんしょうたんじょう うーそうしーにょー。しゅくじきとくほん しゅーにんあいきょう。)
「もし、女の子を欲しいと願うものならば、便ち美しい顔立ちの女の子を生み、その子は本来から徳を持っているから、気立てよし器量よし。当然、万人に愛され敬われるだろう。」

無尽意。觀世音菩薩。有如是力。若有衆生。恭敬禮拜 觀世音菩薩。
(むーじんにー。かんぜーおんぼーさー。うーにょーぜーりき。にゃくうーしゅーじょう。くーぎょうらいはい かんぜーおんぼーさー。)
「無尽意よ。観世音菩薩にはこれほどの御力がある。誰でも観世音菩薩を恭(うやうや)しく、敬いさえするならば、」

福不唐捐。是故衆生。皆応受持 觀世音菩薩名號。
(ふくふーとうえん。ぜーこーしゅーじょう。かいおうじゅーじー かんぜーおんぼーさーみょうごう。)
「福を空しく捨てるということは決してない。だから皆、観世音菩薩の御名を心にしっかりと保ち、決して忘れないようにしなければいけなかろう。」


シーン5:
前段のまとめ

無尽意。若有人受持 六十二億恆河沙菩薩名字。
(むーじんにー。にゃくうーにんじゅーじー ろくじゅうにーおくごうがーしゃーぼーさーにょうじ。)
「無尽意よ。もし、人がいて、恒河の六十二億もの砂をも越えよう、大勢の菩薩の御名を覚えこみ、、」

復尽形供養 飮食 衣服 臥具 医薬。於汝意云何。
(ぶーじんぎょうくーよう おんじき えーぶく がーぐー いーやく。おーにょーいーうんが。)
「復(また)、命尽くす限り、生涯に渡って、飲み物や食べ物、衣服、臥具(がぐ)など寝具、医薬を供養したならば、」

是善男子善女人 功徳多不。
(ぜーぜんなんしーぜんにょーにん くーどくたーふー。)
「お前はこれをどう思か。こうした信仰深い、男たちや女たちの功徳は多いだろうか。そうではないだろうか。」

無尽意言。甚多世尊。
(むーじんにーごん。)
無盡意菩薩は答えた。「無論、甚だ多かろうと存じます。世尊よ。」

仏言。若復有人受持 觀世音菩薩名號。
(ぶつごん。みゃくぶーうーにんじゅーじー かんぜーおんぼーさーみょうごう。)
すると、世尊は続けて言葉された。
「(なるほど。そう考えるのは当然であり、確かでもある。しかし・・)もし、復(また)人がいて、觀世音菩薩の御名を心に保ち、」

乃至一時 禮拜供養。是二人福 正等無異。
(ないしーいちじー らいはいくーよう。ぜーにーにんふく しょうとうむーいー。)
「例え一時(いっとき)でも、拝み大事にするならば、是ら(これら)「觀世音」と、一心に禮拝供養し縋る者と、先の両者二人の福は、正に同等であり差異は無いのだ。」

於百千万億劫 不可窮尽。
(おーひゃくせんまんおくこう ふーかーぐうじん。)
「(そのことからも伺え知る福は、)幾百幾千万億を越える時を経ても、到底語り窮め(きわめ)尽くせるものではない。」

無尽意。受持 觀世音菩薩名號。得如是無量無辺福徳之利。
(むーじんにー。じゅーじー かんぜーおんぼーさーみょうごう。とくにょーぜー むーりょうむーへん ふくとくしーりー。)
「無尽意よ。觀世音菩薩の御名を、いつも心に保つことが出来れば、このような量り知れない、限りない福徳の御利益をいただけるのだ。」


シーン:6
三十三応身(おうじん)、而為説法(にいせっぽう)。

◆1、三種の聖身(しょうしん)
仏告 無尽意菩薩。善男子。若有国土 衆生応以 仏身得度者。
(ぶつごう むーじんにーぼーさー。ぜんなんしー。にゃくうーこくどー しゅーじょうおーいー ぶっしんとくどーしゃ。)
釈尊は無尽意菩薩に告げられた。
「善男子よ。もし、どこかの国の人々がいて(その人たちが)、応(まさ)に、仏さまの身をもって得度すべき者(仏さまが説けば救われる者)には、」

觀世音菩薩。即現仏身 而為説法。
(かんぜーおんぼーさー。そくげんぶっしん にーいーせっぽう。)
「觀世音菩薩は即ち、仏さまの身となって現れ、その者の為に法を説き(救い教え)、」

応以辟支仏身 得度者。即現辟支仏身 而為説法。
(おーいーひゃくしーぶっしん とくどーしゃ。そくげんひゃくしーぶっしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、辟支仏(びゃくしぶつ)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、師持たずして独自に、十二因縁の教えによって悟りを得た、縁覚(えんがく)・独覚(どくがく)と呼ばれる孤高の聖者たち。つまり、辟支仏の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以聲聞身 得度者。即現聲聞身 而為説法。
(おーいーしょうもんしん とくどーしゃ。そくげんしょうもんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、声門(しょうもん)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、「苦(く)・集(じつ)・滅(めつ)・道(どう)」なる、四つの真理、いわゆる四諦を学び悟ろうとする羅漢たち。つまり、声門の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

◆2、六種の天身
応以梵王身 得度者。即現梵王身 而為説法。
(おーいーぼんのうしんとくどーしゃ。そくげんぼんのうしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、梵王の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、六道界のうち、天上界の中の色界十八天。更にその中の三つの天からなる第一禅天の王であり、初禅最高位第三天・大梵天に住まわれる、淫欲や食欲なき清浄なる梵王の身となって現れ、煩悩を脱したいが者の為に法を説き、」

応以帝釈身 得度者。即現帝釈身 而為説法。
(おーいーたいしゃくしんとくどーしゃ。そくげんたいしゃくしん  にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、帝釈(たいしゃく)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、同じく天上界の中の欲界六天、更にその中の第二天―三十三天。いわゆる、忉利天(とうりてん)の主で、須弥山(しゅみせん)山頂に住まわれし、『男はつらいよ』寅さん〜あの柴又帝釈天宜しく。善行を喜ばれる帝釈天の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以自在天身 得度者。即現自在天身 而為説法。
(おーいーじーざいてんしん とくどーしゃ。そくげんじーざいてんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、自在天の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、欲界第六天、いわゆる他化自在天に住まわれる魔王となり、先とは逆に悪行専科の自在天の身となって現れ、どーしよーもない者の為に法を説き、」

応以大自在天身 得度者。即現大自在天身 而為説法。
(おーいーだいじーざいてんしん とくどーしゃ。そくげんだいじーざいてんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、大自在天の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、色界十八天最上階、色究竟天(しきくきょうてん)に住まわれる、魔の首(かしら)大魔王なる大自在天の身となって現れ、極めてどーしよーもない者の為に法を説き、」

応以天大將軍身 得度者。即現天大將軍身 而為説法。
(おーいーてんだいしょうぐんしん とくどーしゃ。そくげんてんだいしょうぐんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、天大将軍の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、軍神なる天大将軍の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以毘沙門身 得度者。即現毘沙門身 而為説法。
(おーいーびしゃもんしん とくどーしゃ。そくげんびしゃもんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、毘沙門の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、法を良く聞き給う多聞天(たもんてん)の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

◆3、五種の人身
応以小王身 得度者。即現小王身 而為説法。
(おーいーしょうおうしん とくどーしゃ。そくげんしょうおうしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、小王の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、王の下の位に位置する支配者なる、例えるなら日常の人間の城主として、小王の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以長者身 得度者。即現長者身 而為説法。
(おーいーちょうじゃーしん とくどーしゃ。そくげんちょうじゃーしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、長者の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、徳の有る富豪の姿として、長者の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以居士身 得度者。即現居士身 而為説法。
(おーいーこーじーしん とくどーしゃ。そくげんこーじーしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、居士の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、在家のまま修行する男子仏教徒、居士の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以宰官身 得度者。即現宰官身 而為説法。
(おーいーさいかんしん とくどーしゃ。そくげんさいかんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、宰官の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、官史役人の姿として、宰官の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

応以婆羅門身 得度者。即現婆羅門身 而為説法。
(おーいーばらもんしん とくどーしゃ。そくげんばらもんしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、婆羅門の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、四姓制度(カースト)の最上位、司祭階級者なる婆羅門の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

◆4、四種の衆身
応以比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷身 得度者。即現比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷身 而為説法。
(おーいーびく びくに うばそく うばいしん とくどーしゃ。そくげんびく びくに うばそく うばいしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、出家者の男女や、在家信者の男女、それぞれの身となって現れ、それらの者たちの為に法を説き、」

◆5、四種の婦女身
応以長者 居士 宰官 婆羅門婦女身 得度者。即現婦女身 而為説法。
(おーいーちょうじゃー こーじー さいかん ばらもんぶーにょーしんとくどーしゃ。そくげんぶーにょーしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、(先述の)富豪や、在家修行者や、役人や、家柄の良い者など、それそぞれの妻や娘の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、それぞれの婦人、婦女の身となって現れ、その者たちの為に法を説き、」

◆6、童男童女身
応以童男童女身 得度者。即現童男童女身 而為説法。
(おーいーどうなんどうじょーしん とくどーしゃ。そくげんどうなんどうにょーしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、童男童女の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、男の子や女の子の身となって現れ、その者の為に法を説き、」

◆7、八部身
応以天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦樓羅 緊那羅 摩羅伽 人非人等身 得度者。即皆現之 而為説法。
(おーいーてんりゅう やーしゃー げんだつばー あしゅらー かるなら きんなら まごらーかー にんぴーにんとうしんとくどーしゃ。そくかいげんしー にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、天人や、竜神や、鬼神の夜叉や、音楽神である乾闥婆(けんだつば)や、戦闘神である阿修羅や、竜をも食する獰猛(どうもn)な巨鳥獣である迦楼羅(かるら)や、半身半獣なるも美声の音楽家である緊那羅(きんなら)や、大蛇神なる摩喉羅伽(まごらか)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち皆、その者たちに相応しい様々な神や生き物として、人の身に非ず人の身をした身となって之に現れ、その者たちの為に法を説き、」

◆8、一身
応以執金剛身 得度者。即現執金剛身 而為説法。
(おーいーしゅうこんごうしん とくどーしゃ。そくげんしゅうこんごうしん にーいーせっぽう。)
「応(まさ)に、執金剛神(しゅうこんごうじん)の身をもって得度すべき者には、觀世音菩薩は即ち、金剛杵(こんごうしょ)を手にした、護法善神なる身となって現れ、その者の為に法を説かれる。」


無尽意。是觀世音菩薩。成就如是功徳。以種種形 遊諸国土度脱衆
生。
(むーじんにー。ぜーかんぜーおんぼーさー。じょうじゅーにょーぜーくーどく。いーしゅーじゅーぎょう ゆーしょーこくどーどーだつしゅーじょう。)
「無尽意よ。このように觀世音菩薩は功徳を成就され、ありとあらゆるお姿に化身されて、諸国を遊行しつつ、どこにでも忽ち現れて人々を悟りへとお導き下さるのだ。」

是故汝等。応等一心供養 觀世音菩薩。
(ぜーこーにょうとう。おうとういっしんくーよう かんぜーおんぼーさー。)
「・・であるからして、お前たちは応等(まさ)に、それこそ一心に、觀世音菩薩を供養しなさい。」

是觀世音菩薩摩訶薩。於怖畏急難之中
(ぜーかんぜーおんぼーさーまーかーさ。おーふーいーきゅうなんしーちゅう)
「そうすれば必ず、觀世音菩薩は、どんな怖い目にあっても、突然降りかかる困難や難題にあっても、怖ろしさを取り除いて下さる。」

能施無畏。是故此娑婆世界。皆號之為 施無畏者。
(のうせーむーいー。ぜーこーしーしゃーばーせーかい。かいごうしーいー せーむーいーしゃ。)
「故に、世間の人々は皆、無畏(落ち着き)を、能く(よく)施して下さる方として、(観音様のことを)、施無畏者(安心を与えて下さる方)とも呼ばれるのである。」


シーン:7
瓔珞章(ようらくしょう)自在神力(じざいじんりき)

無尽意菩薩 白仏言。世尊。我今当供養 觀世音菩薩。
(むーじんにーぼーさーびゃくぶつごん。せーそん。がーこんとうくーよー かんぜーおんぼーさー。)
(話しを聞き終えた)無尽意菩薩が、釈尊に謹んで申し上げた。
「世尊よ。わたしは今、当(まさ)に觀世音菩薩をご供養します。」

即解頚 衆宝珠瓔珞。價直百千兩金。而以與之。作是言。
(そくげーきょう しゅーほうじゅーようらく。げーじきひゃくせんりょうごん。にーいーよーしー。さーぜーごん。)
そう云って、すぐさま自分の頸(くび)に掛けていた、百千両金もの価値のする、非常な高価で様々な金銀宝飾を外し、之を觀世音に差出しこう云った。

仁者。受此法施 珍宝瓔珞。
(にんしゃー。じゅーしーほっせ)
「慈しみ深い方、仁者(にんしゃ)よ。どうぞ、この珍宝の法施(ほっせ)をお納め下さい。」

時觀世音菩薩 不肯受之。
(じーかんぜーおんぼーさー ふーこーじゅーしー。)
そのとき、觀世音菩薩は肯(あ)えて、之を受け取らなかった。

無尽意 復白觀世音菩薩言。仁者。愍我等故 受此瓔珞
(むーじんにー ぶーびゃくかんぜーおんぼーさーごん。にんしゃー。みんがとうこー じゅーしーようらく)
無尽意菩薩は復(また)、觀世音菩薩に謹んで申し上げた。
「慈しみ深い方、仁者(にんしゃ)よ。私たちを愍(あわ)れむのなら、どうかこの首飾りをお受取下さい。重ねてお願いします。」

爾時 仏告觀世音菩薩。
(にーじー ぶつごうかんぜーおんぼーさー。)
そのとき、釈尊は(押し問答になってしまい、困り果てる無盡意菩薩のため仲立ちし)、觀世音菩薩に向かいお告げになった。

当愍此 無尽意菩薩 及四衆 天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦樓羅 緊那羅 摩羅伽 人非人等故。受是瓔珞。
(とうみんしー むーじんにーぼーさー ぎゅうしーしゅー てん りゅう やーしゃー げんだつばー あしゅらー かるなら きんなら まごらーかー にんぴーにんとうこー。じゅーぜーようらく。)
「(觀世音菩薩よ。)当(まさ)に愍れんで、無尽意菩薩を始め(及び、)四衆、天人、竜神、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩喉羅伽、人に非ず人とする者、皆々の心も汲み取り、この志しを(首飾りを)受け取られまいか。」

即時 觀世音菩薩 愍諸四衆 及於天龍 人非人等。受其瓔珞。
(そくじーかんぜーおんぼーさーみんしょーしーしゅー ぎゅうおーてんりゅう にんぴーにんとう。じゅーごーようらく。)
すると即座に觀世音菩薩は、諸々の四衆及び天竜、人に非ず人とする者等を愍れんで、その首飾りを受取ると、」

分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔。
(ぶんさーにーぶん。いちぶんぶったーほうぶっとう。)
首飾りを二つに分け、一つは釈迦牟尼仏陀に奉(たてまつ)り、もう一つを多宝仏塔に奉った。

無尽意。觀世音菩薩。有如是 自在神力。遊於娑婆世界。
(むーじんにー。かんぜーおんぼーさー。うーにょーぜー じーざいじんりき。ゆーおーしゃーばーせーかい。)
「無尽意よ。觀世音菩薩はこのように自在の神力を有して、この娑婆の世界を遊行されている(今、この瞬間にも、常に我々の世界に来られている、そして御利益を下さっている。)のである。」

爾時 無尽意菩薩。以偈問曰。
(にーじー むーじんにーぼーさー。いーげーもんわつ。)
そのとき、無尽意菩薩が詩(偈頌:げじゅ)を以って質問した。


▼ここより偈頌(げじゅ):偈文
*読み仮名が、上段になっております。和訳は御座いません。
*文章より、読み方優先の改行になっております。

せーそんみょうそうぐ がーこんじゅもんぴ ぶつしがーいんねん 
世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁
みょういかんぜおん ぐーそくみょうそうそん げーとうむーじんに
名為観世音 具足妙曹尊 偈答無盡意
にょちょうかんのんぎょう ぜんのうしょほうしょ ぐーぜいじんにょかい
汝聴観音行 善応諸方所 弘誓深如海
りゃくこうふーしーぎー じーたーせんのくぶつ ほつだいしょうじょうがん
歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願
がーいーにょーりゃくせつ もんみょうぎゅうけんしん しんねんふーくうか
我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 
のうめつしょーうーく けーしーこうがいい すいらくだいかきょう
能滅諸有苦 假使興害意 推落大火坑


ねんぴーかんのんりき かーきょうへんじょうち わくひょうるこーかい りゅうごしょきーなん
念彼観音力 火坑変成池 或漂流巨海 龍魚諸難鬼
ねんぴーかんのんりき はーろうふーのうもつ わくざいしゅみーぶー いーにんしょーすいだー
念彼観音力 波浪不能没 或在須弥峯 為人所推堕
ねんぴーかんのんりき にょにちこーくうじゅう わくひーあくにんちく だーらくこんごうせん
念彼観音力 如日虚空住 或被悪人逐 堕落金剛山
ねんぴーかんのんりき ふのうそんいちもう わくちーおんぞくねう  かくしゅーとうかがい
念彼観音力 不能損一毛 或値怨賊繞 各執刀加害
ねんぴーかんのんりき げんそくきーじしん わくそうおうなんく りんぎょうよくじゅじゅう
念彼観音力 咸即起慈心 或遭王難苦 臨刑欲寿終
ねんぴーかんのんりき とうじんだんだんね わくしゅーきんかーさー しゅそくひーちゅーかい
念彼観音力 刀尋段段壊 或囚禁枷鎖 手足被柱械
ねんぴーかんのんりき しゃくねんとくげだつ じゅうそしょどくやく しょーよくがいしんじゃ
念彼観音力 釈然得解脱 呪詛諸毒薬 所欲害身者
ねんぴーかんのんりき げんじゃくおほんひん わくぐーあくらーせつ  どくりゅうしょきとう
念彼観音力 還著於本人 或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等
ねんぴーかんのんりき じーしつぷーかんがい にゃくあくじゅいねう りーげーそうかーふ
念彼観音力 時悉不敢害 若悪獣圍繞 利牙爪可怖
ねんぴーかんのんりき じっそうむーへんほう がんじゃぎゅうふくかつ けーどくえんかーねん
念彼観音力 疾走無邊方 玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃
ねんびーかんのんりき じんしょうじえーこ うんらいくーせいでん ごうばくじゅだいうー
念彼観音力 尋聲自回去 雲雷鼓掣電 降雹濡大雨
ねんぴーかんのんりき おうじとくしょうさん しゅじょうひーこんにゃく むりょうくひつしん
念彼観音力 応時得消散 衆生被困厄 無量苦逼身


かんのんみょうちーりき のうくーせーけんくー ぐーそくじんつうりき こうしゅうちほうべん
観音妙智力 能救世間苦 具足神通力 廣修智方便 
じつぽうしょーこくど むせつふーげんしん しゅじゅしょーあくしゅー じーごくきーちくしょう
十方諸国土 無刹不現身 種種諸悪趣 地獄鬼畜生  
しょうろうびょうしーく いぜんしつりょうめつ しんかんしょうじょうかん こうだいちーえーかん
生老病死苦 以漸悉令滅 真観清浄観 廣大智慧観   
ひーかんぎゅうじかん じょうがんじょうせんごう むーくーしょうじょうこう えーにちはーしょあん
悲観及慈観 浄願常譫仰 無垢清浄光 慧日破諸闇
のうぶくさいふうか ふーみょうしょうせーけん ひーたいかいらいしん じーいーみょうだいうん
能伏災風火 普明照世間 悲體戒雷震 慈意妙大雲
じゅんかんろほうう   めつじょぼんのうえん じょうじょきょうかんじょ ふーいぐんじんちゅう
濡甘露法雨 滅除煩悩焔 諍訟経官処 怖畏軍陣中  


ねんぴーかんのんりき しゅうおんしつたいさん みょうおんかんぜおん ぼんのんかいちょうおん
念彼観音力 衆怨悉退散 妙音観世音 梵音海潮音 
しょうひーせーけんのん ぜーこーしゅーじょうねん ねんねんもつしょうぎ かんぜおんじょうしょう
勝彼世間音 是故須常念 念念勿生疑 観世音浄聖
おーくーのうしーやく のういーさーえーこ ぐいつさいくーどく じーげんじーしゅーじょう
於苦悩死厄 能為作依怙 具一切功徳 慈眼視衆生
ふくじゅかいむーりょう ぜーこーおうちょうらい
福聚海無量 是故応頂礼


にじじじーぼーさつ そくじゅうざーきー ぜんびゃくぶつごん せーそん にゃくうしゅじょう
爾時持地菩薩 即従座起 前白佛言 世尊 若有衆生  
もんぜかんぜおんぼさつぼん じーざいしーごう ふーもんじーげん じんつうりきしゃ 
聞是観世音菩薩品 自在之業 普門示現 神通力者
とうちぜにん くーどくふーしょう ぶつせつぜー ふーもんぼんじしゅうちゅう はちまんしーせんしゅうじょう
当知是人 功徳不少佛説是普門品時衆中 八萬四千衆生
かいほつむー とうどう あーのくたらさんみゃくさんぼーだいしん
皆発無等等 阿耨多羅三藐三菩提心


以上。