皆さん。こんにちわ。
さて、前回に続き、観音経和訳 中盤を、ご紹介したいと思います。ナンやかんやと、脱線しているとキリがありませんので、今回はいつものように、余計な話しをダラダラしゃべり出す前に一気に参りましょう(笑。

【妙法蓮華経觀世音菩薩普門品偈第二十五  長行(観音経・全文)/和訳(中)】

シーン3:
三毒の難(煩悩からの解脱)

三毒と申しますのは、一、貪(とん)むさぼりのこと。貪欲のドンです。 二、瞋(しん)いかりのこと。瞋恚(しんに)と云います。 三、痴(ち)おろかさのこと。これは普段でも口にする、愚癡(ぐち)のことですね。
これで三つの毒、三毒です。いずれも人の心に巣食う、まぁ心の毒と申しましょうか。それらを顕わしたものです。
私たち人間は、本当に多くの欲に我が身を浴しておりますが、特に仏教では、婬欲(いんよく:性欲)は渇愛(かつあい)ともいい、煩悩の中で最も強く苦しいものとしております。このシーンでいう、貪も性欲のことを顕わしております。


一、貪欲
若有衆生 多於婬欲。常念恭敬 觀世音菩薩。便得離欲。
(にゃくうーしゅーじょう たーおーいんよく。じょうねんくーぎょう かんぜーおんぼーさー。べんとくりーよく。)
「もし、人々の中に、性欲が強く悩む者がいて、抑えきれない婬欲が湧き上がったとしても、いつでも觀世音菩薩を念じて、恭(うやうや)しく、敬いさえすれば、便(すなわ)ち、独りでに婬欲が心を離れることが出来るだろう。」

二、瞋恚
若多瞋恚。常念恭敬 觀世音菩薩。便得離瞋。
(にゃくたーぐーちー。じょうねんくーぎょう かんぜーんぼーさー。べんとくりーちー。)
「もし、何かにつけて怨みや怒りを覚えることが多い者がいても、いつでも觀世音菩薩を念じて、恭(うやうや)しく、敬いさえすれば、便(すなわ)ち、瞋(いか)りが心を離れ、腹も立てずに済ますことが出来る。」

三、愚癡
若多愚癡。常念恭敬 觀世音菩薩。便得離癡。
(にゃくたーぐーちー。じょうねんくーぎょう かんぜーおんぼーさー。べんとくりーちー。)
「もし、愚かな考えばかりに捉われる者がいても、いつでも觀世音菩薩を念じて、恭(うやうや)しく、敬いさえすれば、便(すなわ)ち、それら愚な心の淵から離れることが出来る。」

無尽意。觀世音菩薩。有如是等 大威神力 多所饒益。是故衆生 常応心念。
(むーじんにー。かんぜーおんぼーさー。うーにょーぜーとう だいいーじんりき たーしょーにょうやく。ぜーこーしゅーじょう じょうおうしんねん。)
「無尽意よ。觀世音菩薩はこのように、大いなる灼(あら)たかな御力を持っていて、沢山の利益で囲んで下さることが多々ある。是(これ)故に、人々は常に応(まさ)に、心に觀世音を念ずるべきであろう。」


シーン4:
二求章(にぐしょう)

シーン2において、七難転じて七福とし、シーン3では、三毒転じて三徳と説いてきました。そうして福徳円満を得た人々が、今度は観音さまを一心に念じて、二つの願い(二求)をすると、どうなるのか? それを、子宝に恵まれる、という実例を通して表現されます。観音さまが子宝を授けてくれる仏尊としても、信仰されている理由はここにあったのですね。

但し、これらはあくまで方便です。表面的な顕わしに過ぎません。
例えば、「賢い子供が授かりますように!」と、願ったとします。そこで、「ハイ!賢い子供の一丁出来上がり!」「毎度おおきに!」 みたいなことにはならないのです。
では願いが叶わないのか? いえ、断じてそうではありません。
だったら古来から、観音信仰者が跡を絶たない理由がなくなります。あらゆる願いを叶えて下さるのが観音さまです。威神力に疑う余地などあるわけも御座いません。ただ、子供は生産品ではありません。信頼おけるメーカーからスペックを確認し、保証書まで携える車や家電品を買うのとは違いますね。

聖書などもそうですが、お経は語釈に顕わされた理釈を観てこそ、深い教えに触れられるのであると云われます。語釈、つまり言葉や文字で直感的に語られる解釈の向こう側に在る、本当の智慧です。
お経と違い、日常語に近い和讃は比較的、私たちには分かりやすいのではありますが、その和讃でも、語釈の向こう側に見える、理釈を鑑みつつ読み解くと、特に大聖歓喜天和讃などは、大変有難く観じるもので御座います。
私たち凡夫の浅墓な知恵では、なかなか域を越えることが出来ませんが、そろそろこの辺りから、(う〜〜ん。じゃあ、これはこういうことを云わんとしているのか?)などと、頭を柔軟に読み解いていけば如何でしょうか。脳の運動にもなろうかと思いますし、結構愉しいものであります。後ほど補足致します。では続きをどうぞ。


若有女人 設欲求男。禮拜供養觀世音菩薩。便生福徳 智慧之男。
(にゃくうーにょーにん せっちょくぐーなん。らいはいくーようかんぜーおんぼーさー。べんしょうふくとく ちーえーしーなん。)
「もし、婦人がいて、設し男の子を欲しいと願うものなら、觀世音菩薩を拝んで大事にすれば、便ち福徳智慧を備えた、大層利口な男の子を生むだろう。」

設欲求女。便生端正 有相之女。宿殖徳本 衆人愛敬。
(せっちょくぐーにょー。べんしょうたんじょう うーそうしーにょー。しゅくじきとくほん しゅーにんあいきょう。)
「もし、女の子を欲しいと願うものならば、便ち美しい顔立ちの女の子を生み、その子は本来から徳を持っているから、気立てよし器量よし。当然、万人に愛され敬われるだろう。」

無尽意。觀世音菩薩。有如是力。若有衆生。恭敬禮拜 觀世音菩薩。
(むーじんにー。かんぜーおんぼーさー。うーにょーぜーりき。にゃくうーしゅーじょう。くーぎょうらいはい かんぜーおんぼーさー。)
「無尽意よ。観世音菩薩にはこれほどの御力がある。誰でも観世音菩薩を恭(うやうや)しく、敬いさえするならば、」

福不唐捐。是故衆生。皆応受持 觀世音菩薩名號。
(ふくふーとうえん。ぜーこーしゅーじょう。かいおうじゅーじー かんぜーおんぼーさーみょうごう。)
「福を空しく捨てるということは決してない。だから皆、観世音菩薩の御名を心にしっかりと保ち、決して忘れないようにしなければいけなかろう。」

二求章:補足
如何でしたでしょうか。
賢い男の子。可愛くて愛される女の子。親なら誰しも願うはずでしょう。お腹を痛めない男は殊更、自分の子供が可愛いに越したことはないと思いますが、美男美女からもとんでもない不細工も産まれますし、トンビが鷹を産むことだってあります。期待してたって運悪く?チョー不細工な子供が産まれるかも知れません。
「オギャーッ!」「ぎゃぁぁあああっ!」(ヤダ!まさかの失敗!?激汗)と思っても、すぐさま作り直すことは出来ませんね(笑。

ここで顕わす二求の願いとは、男の子が「実相般若」。つまり、智慧を得る。女の子が慈悲を得る。この二つの願いを込めて禮拝、拝むということは、そのまま観音さまをお腹に宿す、即ち即身成仏するということであります。
子供に限らず何々を下さい!と切願するのではなく、観音さまの福徳智慧が自分の物となり得る。と、いうことで御座います。先の一節の中の「、福不唐捐(ふくふーとうえん)」は、(唐)=むなしい。(損)=捨てる。という意味から、福をむなしく捨てることは無い。⇒無駄にはならない。⇒福は必ず得られる。という解釈していきます。
しかし、こんなこと、釈経でも読まなきゃサッパリ分かるわけありませんね。でも、こうして人の書いたものでも理釈を解いていくと、読み解きクセがつき、段々自分でも解けて行けるようになったら? もう、しめたものですね。どうぞ、(ヒッヒッヒッ・・)と、独りほくそ笑んで下さい(笑。


シーン5:
前段のまとめ

ここまでで語られてきた、数々の功徳をさらに強調するかのように、雄大な恒河(ごうが):ガンジス河にさえ余ると例える、大勢の菩薩観世音菩薩を供養することによって得られる、人々への福徳の大きさが、釈尊と無盡意菩薩との問答による喩え話で締めくくられます。

無尽意。若有人受持 六十二億恆河沙菩薩名字。
(むーじんにー。にゃくうーにんじゅーじー ろくじゅうにーおくごうがーしゃーぼーさーにょうじ。)
「無尽意よ。もし、人がいて、恒河の六十二億もの砂をも越えよう、大勢の菩薩の御名を覚えこみ、、」

復尽形供養 飮食 衣服 臥具 医薬。於汝意云何。
(ぶーじんぎょうくーよう おんじき えーぶく がーぐー いーやく。おーにょーいーうんが。)
「復(また)、命尽くす限り、生涯に渡って、飲み物や食べ物、衣服、臥具(がぐ)など寝具、医薬を供養したならば、」

是善男子善女人 功徳多不。
(ぜーぜんなんしーぜんにょーにん くーどくたーふー。)
「お前はこれをどう思か。こうした信仰深い、男たちや女たちの功徳は多いだろうか。そうではないだろうか。」

無尽意言。甚多世尊。
(むーじんにーごん。)
無盡意菩薩は答えた。「無論、甚だ多かろうと存じます。世尊よ。」

仏言。若復有人受持 觀世音菩薩名號。
(ぶつごん。みゃくぶーうーにんじゅーじー かんぜーおんぼーさーみょうごう。)
すると、世尊は続けて言葉された。
「(なるほど。そう考えるのは当然であり、確かでもある。しかし・・)もし、復(また)人がいて、觀世音菩薩の御名を心に保ち、」

乃至一時 禮拜供養。是二人福 正等無異。
(ないしーいちじー らいはいくーよう。ぜーにーにんふく しょうとうむーいー。)
「例え一時(いっとき)でも、拝み大事にするならば、是ら(これら)「觀世音」と、一心に禮拝供養し縋る者と、先の両者二人の福は、正に同等であり差異は無いのだ。」

於百千万億劫 不可窮尽。
(おーひゃくせんまんおくこう ふーかーぐうじん。)
「(そのことからも伺え知る福は、)幾百幾千万億を越える時を経ても、到底語り窮め(きわめ)尽くせるものではない。」

無尽意。受持 觀世音菩薩名號。得如是無量無辺福徳之利。
(むーじんにー。じゅーじー かんぜーおんぼーさーみょうごう。とくにょーぜー むーりょうむーへん ふくとくしーりー。)
「無尽意よ。觀世音菩薩の御名を、いつも心に保つことが出来れば、このような量り知れない、限りない福徳の御利益をいただけるのだ。」


以上。【妙法蓮華経觀世音菩薩普門品第二十五  長行(観音経・全文)/和訳(下)】へと続く。
長行(ちょうぎょう)の前段が終了したところで、今回はお終いです。
次回は後段、シーン6:三十三応身 而為説法から、ご紹介致します。



本日も有難う御座いました。
皆さん銘々に、GWは愉しく過ごされましたか?
1000円渋滞スゴイですね〜。巻き込まれた方、運転ご苦労様でした。
成田で検疫のため、一時間も機内で待たされた方もお疲れ様でした。

亭主、女房、子供たち。皆さん、ご家族を大切にして下さいね。
愛を捧げてくれる恋人。支えてくれる友人を大切して下さいね。
そして親御さんは元より、お年寄りを大切にして下さいね。

今64歳以上の方々は、みな敗戦を経験されています。
そんな方たちが、命を賭けて日本を守ってくれたおかげで私たちがいます。
そんな方たちが、命を磨り減らして養ってくれたから、今の日本経済があります。
ゆめゆめ、それも忘れないようにいたしましょうね。

それではまた。


感謝合掌
法蓮 百拝