今回は神前にて毎朝唱えている、祓詞(はらえことば)をご紹介しませう。
唱えていただくとすぐお分かりのように、下記の祝詞(のりと)は
よくある『祓詞・身滌大祓(はらえことば・みそぎのおおはらい)』と
比較して二箇所、言葉が多くなっている。

これは、妙義山中之嶽 大黒神社で年に六回行なわれる
大黒大神甲子祭で唱えられているもの。
今年初頭、初めて奉唱参加した際に、どうもいつもの祝詞を唱えていると
他の多くの参拝者と自分だけが先行してズレていくので、おかしいなぁ〜と思った。
身滌大祓を暗誦できる人は、どの二箇所が一般のものと違っているか探してみてちょうだい。
よくよく読んでみると、大黒神社の身滌大祓は、通常の祓詞と身滌大祓が合体しているようにも思える。


『身滌大祓』みそぎのおおはらい
高天原に神留座す。神魯伎神魯美の命以て。
たかあまはらにかむづまります。かむろぎかむろみのみこともちて。
皇御祖神 伊邪那岐 伊邪那美の大神。
すめみおやかむ いざなぎ いざなみのみこと。
筑紫の日向の橘の 小戸の阿波岐原に
つくしのひむがのたちばなの おどのあわぎはらに
御禊祓へ給ひし時に 生座る祓戸の大神達。
みそぎはらへたまひしときに なりませるはらえどのおおかみたち。
諸々の枉事罪穢れ有らむをば 祓へ給へ清め給へと
もろもろのまがごとつみけがれあらむをば はらえたまえきよめたまえと
申す事の由を 天津神国津神。
もうすことのよしを あまつかみくにつかみ。
八百萬の神達共に 聞食せと恐み恐み白す。
やをよろづのかみたちともに きこしめせとかしこみかしこみももうす。


『龍神祝詞』
高天原に坐し坐して 天と地に御働きを現し給う龍王は
たかあまはらにましまして てんとちにみはたらきをあらわしたまうりゅうおうは
大宇宙根元の御祖の御使いにして 一切を産み一切を育て
だいうちゅうこんげんのみおやのみつかいにして いっさいをうみいっさいをそだて
萬物を御支配あらせ給う 王神なれば 一二三四五六七八九十の
よろずのものをごしはいあらせたまう おうじんなれば ひふみよいむなやことの
十種の御寶を 己がすがたと変じ給いて
とくさのみたからを おのがすがたとへんじたまいて
自在自由に 天界地界人界を治め給う
じざいじゆうに てんかいちかいじんかいをおさめたまう
龍王神なるを 尊み敬いて 眞の六根一筋に
りゅうおうじんなるを とうとみうやまいて まことのむねひとすじに
御仕え申すことの由を 受け引き給いて 
みつかえもうすことのよしを うけひきたまいて 
愚かなる心の数々を 戒め給いて
おろかなるこころのかずかずを いましめたまいて
一切衆生の罪穢れの衣を 脱ぎさらしめ給いて
いっさいしゅじょうのつみけがれのころもを ぬぎさらしめたまいて
萬物の 病災をも 立所に祓い清め給い
よろずのものの やまいわざわいをも たちどころにはらいきよめたまい
萬世界も御親のもとに 治めしせめ給へと
よろずせかいもみおやのもとに おさめせしめたまへと
祈願奉ることの 由をきこしめして
こいねがいたてまつることの よしをきこしめして
六根の内に念じ申す大願を 成就なさしめ給へと
むねのうちにねんじもおす だいがんをじょうじゅなさしめたまへと
恐み恐み白す
かしこみかしこみもおす


『稲荷祝詞』
掛巻も 恐き稲荷大神の大前に 恐み恐みも白く
かけまくも かしこきいなりのおおがみのおおまえに かしこみ かしこみ もまをさく
朝に夕に 勤み務る家の産業を
あしたにゆうべに いそしみつとむる いえのなりはいを
緩事無く 怠事無く 彌奨め奨め賜ひ
ゆるぶことなく  おこたることなく  いやすすめ すすめたまひ
彌助に 助賜ひて 家門高く 令吹興賜ひ
いやたすけに たすけたまひて いえかどたかく ふきおこさしめたまひ
堅磐に 常磐に 命長く 子孫の 八十連屬に至まで
かきはに ときはに いのちながくうみのこの やそつづきにいたるまで
茂し 八桑枝の如く 令立槃賜ひ
いかし やぐはえのごとく たちさかえしめたまひ
家にも身にも 枉神の枉事不令有 過犯す事の有むをば
いえにもみにも まがかみのまがごとあらしめず あやまちおかすことのあらむをば
神直日 大直日に 見直聞直座て
かむなおひ おおなおひに みなおしききなおしまして
夜の守 日の守に 守幸へ賜へと
よのまもり ひのまもりに まもり さきはへたまへと
恐み恐みも白す
かしこみ かしこみも もおす